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乳がんを抑制する新たな遺伝子を発見―ヒト乳がんの診断・治療への応用に期待―

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要点

  • X染色体上のNrk遺伝子を欠損した雌マウスが妊娠・出産を経験後に乳がんを発症
  • Nrkタンパク質が妊娠期の乳腺上皮細胞の増殖を止め、がん化を抑制
  • ヒト乳がんの発症機構の解明・診断・治療への応用に期待

概要

東京工業大学 科学技術創成研究院 細胞制御工学研究ユニットの駒田雅之教授らは、マウスを用いた実験で乳がんの発症を抑制する新たな遺伝子を発見した。

妊娠期には、エストロゲン[用語1]などの女性ホルモンのはたらきにより乳腺上皮細胞[用語2]が増殖し、乳腺が発達して授乳に備える。その後、乳腺上皮細胞は増殖を停止するが、この増殖停止機構が破綻すると、細胞の増殖が止まらず、乳がん発症につながると考えられる。その制御機構はこれまでよくわかっていなかったが、駒田教授らは、性染色体であるX染色体[用語3]にコードされるタンパク質リン酸化酵素[用語4]であるNrkを欠損したマウスを作製し、このマウスが妊娠・出産を経験後に高頻度(90%の確率)で乳がんを発症することを突き止めた。本研究により、Nrkが妊娠後期の乳腺で発現し、乳腺上皮細胞の増殖を止めることで乳がんの発症を防ぐ役割を果たしていることが明らかになった。

マウスNrk遺伝子の相同遺伝子はヒトにも存在することから、今回の研究成果は、ヒト乳がんの発症機構の解明・診断・治療に結びつくと期待される重要な生命科学・医学上の知見と言える。9月12日発行のアメリカ研究病理学会の学会誌「The American Journal of Pathology」電子版に掲載された。

背景

近年、生涯に乳がんを患う日本人女性は12人に1人と推定され、大腸がんや肺がんとともに世界的にも増加傾向にあることから、大きな社会問題となっている。乳がんの発症は女性ホルモンであるエストロゲンと密接に関係しており、エストロゲンのはたらきを抑える薬剤(タモキシフェンなど)が治療に用いられている。

妊娠期には、出産後の授乳に備えるため、エストロゲンなどの女性ホルモンのはたらきにより乳腺上皮細胞が増殖し、乳腺組織が発達する。しかし、ひとたび妊娠後期に乳腺が十分に発達した後は細胞増殖を停止する必要があり(図1、左)、この制御機構の破綻は乳腺上皮細胞の腫瘍形成・がん化につながると予想される(図1、右)。しかし、どのようなしくみで妊娠後期に乳腺上皮細胞の増殖が抑制されるのか、その分子機構は不明であった。

妊娠期における乳腺上皮細胞の増殖制御と乳がん

図1. 妊娠期における乳腺上皮細胞の増殖制御と乳がん

研究成果

Nrkタンパク質は、X染色体にコードされたタンパク質リン酸化酵素である。駒田教授らはそのはたらきを調べるため、人工的にNrk遺伝子を変異させNrkタンパク質が作れなくなったマウス(Nrk欠損マウス)を作製して解析を行った。その飼育の過程で、妊娠・出産を経験した雌のNrk欠損マウスの乳腺にしばしば腫瘤(こぶ)ができることを発見した。詳しく調べるため、Nrk欠損の雌マウスを雄マウスと交配させつつ15ヵ月間飼育したところ、非常に高い頻度(10匹中9匹)でNrk欠損マウスに乳腺腫瘍が形成された。この腫瘍は妊娠・出産の経験のないNrk欠損マウスでは観察されず、妊娠期における乳腺上皮細胞の増殖と関連していることが強く示唆された。

この乳腺腫瘍をマウスから摘出し、細胞核の形態や周囲組織への浸潤の有無を病理組織学的に調べた結果、この腫瘍は非浸潤性であり、悪性度が比較的低いがんであることがわかった(図2)。

また、エストロゲン受容体、細胞増殖マーカーであるKi67タンパク質、および増殖因子受容体HER2/ErbB2に対する各抗体で腫瘍の免疫組織染色を行い、それらを発現する細胞数を数えたところ、Nrk欠損マウスに発症する乳腺腫瘍はエストロゲン受容体やKi67が陽性で、HER2は陰性だった。これは、ヒト乳がんのサブタイプ[用語5]の分類におけるluminal-B型に近い(図3)。つまり、この腫瘍がluminal-B型のヒト乳がんの動物モデルとなりうる可能性が示唆された。

Nrk欠損の乳腺腫瘍の病理組織学的な解析

図2. Nrk欠損の乳腺腫瘍の病理組織学的な解析

免疫組織染色によるNrk欠損乳腺腫瘍のサブタイプ分類

図3. 免疫組織染色によるNrk欠損乳腺腫瘍のサブタイプ分類

作製したNrk欠損マウスで乳がんが発症する過程を調べるため、妊娠・出産を経験したもののまだ腫瘍形成に至っていないNrk欠損マウスの非妊娠期と妊娠後期の乳腺の病理組織学的解析を行った。非妊娠期においては、野生型とNrk欠損の乳腺の間で組織形態に違いは見られなかったが、妊娠後期において一部のNrk欠損乳腺にエストロゲン受容体を高発現した乳腺上皮細胞が過密に存在する腺房が観察された(図4)。正常な乳腺では妊娠後期にはエストロゲン受容体の発現レベルは低下することから、エストロゲン受容体の高発現を維持した乳腺上皮細胞の集団が“乳がんの芽”となっていることが示唆される。

腫瘍形成前のNrk欠損の乳腺上皮細胞におけるエストロゲン受容体の発現

図4. 腫瘍形成前のNrk欠損の乳腺上皮細胞におけるエストロゲン受容体の発現

これまで、マウスのNrk遺伝子の発現は胎仔と胎盤でしか検出されておらず、妊娠期の成体組織における発現は調べられていなかった。今回、非妊娠期および妊娠後期の乳腺組織から全RNAを抽出し、NrkのmRNA発現量を測定した結果、非妊娠期には全くNrk発現の見られない乳腺において、妊娠後期にその発現が上昇することがわかった。つまり、乳腺上皮細胞において発現誘導されたNrkがその乳腺上皮細胞の中ではたらいて細胞増殖を停止させていると考えられる。

さらに、妊娠後期の野生型マウスとNrk欠損マウスから採血し、質量分析法を利用して血中エストロゲン濃度を測定したところ、Nrk欠損マウスでは平均して2倍程度まで血中エストロゲン濃度が上昇していることが明らかとなり、Nrkがエストロゲンの合成・分泌の制御にも関与している可能性が示唆された。したがって、Nrk欠損マウスでは、本来ならば妊娠後期に発現誘導されるNrkによる乳腺上皮細胞の増殖停止プロセスの喪失に加え、そこに高濃度のエストロゲンが作用することで、乳腺腫瘍の引き金が引かれると考えられる。

今後の展開

マウスではNrkが妊娠期の乳腺組織におけるエストロゲン/エストロゲン受容体システムに依存した乳腺上皮細胞の増殖を抑制すること、その制御の破綻が乳がんをひき起こすことが解明された(図5)。マウスのNrk遺伝子と相同の遺伝子はヒトにも存在する。Nrk欠損マウスにおける乳腺腫瘍はヒト乳がんのサブタイプ分類におけるluminal-B型に近いものであったことから、本成果はNrkによるヒト乳がんの抑制機構へと結びつき、ひいてはヒト乳がんのより高度な理解、そして診断・治療法の確立につながることが期待される。

Nrk欠損による乳腺上皮細胞の増殖制御の破綻

図5. Nrk欠損による乳腺上皮細胞の増殖制御の破綻

用語説明

[用語1] エストロゲン : 女性ホルモンの1つ。様々な女性機能を調節するが、妊娠期にその血中濃度が上昇して妊娠を維持するとともに、乳腺上皮細胞の増殖を促進して乳腺組織を発達させる。

[用語2] 乳腺上皮細胞 : 乳腺組織は、乳汁を産生・分泌する腺房と、その乳汁を乳頭まで運ぶ乳管からなる。これら2つの組織を構成するのが乳腺上皮細胞である。

[用語3] X染色体 : 性機能に役割を果たす数多くの遺伝子を含む性染色体の1つ。哺乳動物の性染色体にはX染色体とY染色体があり、雄(男性)はX染色体とY染色体を1本ずつ、雌(女性)はX染色体を2本もつ。

[用語4] タンパク質リン酸化酵素 : タンパク質の特定のアミノ酸残基(セリンおよびスレオニン、あるいはチロシン)にリン酸基を付加する酵素。ヒトには約450種類が存在する。

[用語5] ヒト乳がんのサブタイプ : ヒト乳がんは、がん細胞における遺伝子発現パターンの違いからluminal-A、luminal-B (HER2-)、luminal-B (HER2+)、HER2 (non-luminal)-enriched、triple-negativeの5つのサブタイプに分類され、それぞれに特化した治療方針が推奨されている。

論文情報

掲載誌 :
The American Journal of Pathology
論文タイトル :
Deficiency of X-linked protein kinase Nrk during pregnancy triggers breast tumor in mice.
著者 :
Takayo Yanagawa, Kimitoshi Denda, Takuya Inatani, Toshiaki Fukushima, Toshiaki Tanaka, Nobue Kumaki, Yutaka Inagaki & Masayuki Komada
DOI :

問い合わせ先

科学技術創成研究院 細胞制御工学研究ユニット
教授 駒田雅之

Email : makomada@bio.titech.ac.jp
Tel : 045-924-5703 / Fax : 045-924-5771

取材申し込み先

東京工業大学 広報センター

Email : media@jim.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-2975 / Fax : 03-5734-3661


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