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幻の「マヨラナ粒子」の創発を磁性絶縁体中で捉える―電子スピンの分数化が室温まで生じていることを国際共同研究で実証―

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要点

  • 量子スピン液体を示す理論模型を大規模数値計算によって解析
  • 磁気ラマン散乱強度の温度変化を調べた結果、広い温度範囲において幻の「マヨラナ粒子」の創発を発見
  • 本研究で得られた計算結果が実験結果と非常に良い一致
  • これまでとは一線を画した新しい量子スピン液体の検証方法を提案

概要

東京工業大学 理学院の那須譲治助教と東京大学 大学院工学系研究科の求(もとめ)幸年教授は、ケンブリッジ大学のJohannes Knolle研究員、Dmitry Kovrizhin研究員、マックスプランク研究所のRoderich Moessner教授とともに、量子スピン液体[用語1]を示す理論模型に対して大規模数値計算を駆使することで、磁気ラマン散乱[用語2]強度の温度変化が、幻の「マヨラナ粒子[用語3]」を色濃く反映することを見出した。この結果は、磁性絶縁体の基本構成要素である電子スピンがより小さな単位へと分裂する「分数化」という現象が、広い温度領域にわたって生じていることを意味する。さらに、この理論計算の結果が、カナダと米国の共同研究によって得られていた磁性絶縁体の塩化ルテニウム[用語4]に対する実験結果と非常に良い一致を示すことを見出した。このことは、電子スピンの分数化によって創発[用語5]されたマヨラナ粒子が、現実の物質中で室温程度まで存在することを強く示唆するものである。本研究で提案する創発マヨラナ粒子による量子スピン液体の実証方法は、低温極限にのみ着目してきた従来のものとは一線を画すものであり、他の量子スピン液体への応用が期待される。また、この幻の粒子を追い求めてきた素粒子物理学や量子情報などの周辺分野にも大きな波及効果をもたらすものである。

本研究成果は7月4日発行の英国の科学雑誌「ネイチャー・フィジクス(Nature Physics)」電子版に掲載された。

研究成果

東京工業大学 理学院の那須譲治助教と東京大学 大学院工学系研究科の求幸年教授は、英国ケンブリッジ大学のJohannes Knolle研究員、Dmitry Kovrizhin研究員、ドイツマックスプランク研究所のRoderich Moessner教授と共同で、絶対零度で量子スピン液体を示すことが知られているキタエフ模型[用語6]と呼ばれる理論模型に対して量子モンテカルロ法[用語7]による大規模数値計算を適用し、磁気ラマン散乱強度の温度変化を詳細に調べた。その結果、幻の粒子といわれる「マヨラナ粒子」の創発を示すフェルミ粒子性を反映した振る舞いが広い温度範囲にわたって現れることを発見した。このマヨラナ粒子は、磁性絶縁体の基本構成要素である電子スピンが分裂する「分数化」と呼ばれる量子スピン液体特有の現象によって創発されるものである。通常の磁性絶縁体における磁気ラマン散乱強度の温度変化はボース粒子としての性質を反映することが知られていたが、本発見はこれまでにない全く新しい現象である。

本研究の最大の成果は、この数値計算の結果を実験結果と詳細に比較することで、電子スピンの分数化による創発マヨラナ粒子が、現実の物質中で、約-250℃から室温にわたる非常に広い温度範囲に存在することを示した点にある。この比較は、キタエフ模型で良く記述される磁性絶縁体のひとつとされる塩化ルテニウムに対して昨年4月にカナダと米国のグループによって報告された実験結果を用いて行われた(図1)。この比較を通じて、理論と実験が非常に良い一致を示すことだけでなく、この幅広い温度領域の磁気ラマン散乱が、光によるマヨラナ粒子の生成・消滅という単純な散乱プロセスによって理解できることを明らかにした(図2)。この結果は、塩化ルテニウムの磁性を担う基本構成要素は電子スピンそのものではなく、それらが量子力学的な相互作用によって分数化し創発されたマヨラナ粒子であること強く示唆するものである。

従来の量子スピン液体の探求のほとんどは、絶対零度(-273.15℃)およびそのごく近傍に現れる特異な性質を追い求めるものであった。本研究が示した、室温までの非常に幅広い温度領域に存在する創発マヨラナ粒子を通じた量子スピン液体の実証法は、これまでの研究とは一線を画すものである。また、マヨラナ粒子は、長年にわたって素粒子物理学の分野で注目され、最近では量子情報の分野でも盛んに研究されている幻の粒子である。本研究は、磁性絶縁体がこの幻の粒子の性質を研究する格好の舞台であることを示した点で、これらの周辺分野に大きな波及効果をもたらすものである。

磁気ラマン散乱強度の温度依存性。塩化ルテニウムに対する実験結果と本研究でキタエフ模型に対して得られた理論計算結果との比較を示している。
図1.
磁気ラマン散乱強度の温度依存性。塩化ルテニウムに対する実験結果と本研究でキタエフ模型に対して得られた理論計算結果との比較を示している。
磁気ラマン散乱によるマヨラナ粒子創発の概念図。光の散乱によって電子スピンが分数化したマヨラナ粒子を2つ生成する。この過程が散乱強度の温度変化に現れる。
図2.
磁気ラマン散乱によるマヨラナ粒子創発の概念図。光の散乱によって電子スピンが分数化したマヨラナ粒子を2つ生成する。この過程が散乱強度の温度変化に現れる。

背景

磁性絶縁体中の電子は原子核の周りに局在しており、電子が持つスピンの自由度に由来した磁気モーメントが磁性を支配している。すなわち、磁性絶縁体の基本構成要素は電子スピンである。一方、この世に存在するすべての基本粒子は、ボース粒子とフェルミ粒子[用語8]のどちらかに分類される。磁性絶縁体中の電子スピン集団の性質は、これまでボース粒子として記述されると考えられてきた。しかし、量子スピン液体という特殊な量子状態が実現した場合には、電子スピンが量子力学的な相互作用効果によって複数のフェルミ粒子に分裂する「分数化」と呼ばれる創発現象が起きることが理論的に予想されていた。特に、キタエフ模型と呼ばれる理論模型では、絶対零度において、電子スピンがフェルミ粒子である2種類のマヨラナ粒子に分数化することが知られていた。

こうした創発フェルミ粒子の存在を実験的に検証するために、これまで温度が非常に低いときの性質が精力的に調べられてきた。しかしながら、極低温では、物質中に内在する乱れの効果や原子核スピンの影響といった電子スピン以外の寄与が顕在化してしまう。そのため、電子スピンの分数化による創発現象を捉えるためには、これまでとは全く異なる視点からの研究が必要とされてきた。

研究の経緯

本研究は、日本、英国、ドイツの研究グループ間の共同研究である。元々日本の理論研究グループでは、量子スピン液体を示すキタエフ模型におけるさまざまな物理量の温度変化を研究してきた。一方、ヨーロッパの理論研究グループでは、絶対零度における磁気ラマン散乱の研究を行っていた。本研究成果は、これら2つの研究を融合して磁気ラマン散乱の温度変化の計算を行い、さらに実験との詳細な比較や創発マヨラナ粒子の新しい実証方法の提案へと発展させた画期的な国際共同研究によるものである。

今後の展開

1973年のフィリップ・アンダーソン[用語9]による量子スピン液体の理論的な提案以来、その実現可能性がおよそ半世紀にわたり現在まで精力的に議論されてきた。本研究は、量子スピン液体の検証方法として画期的な提案を行うものである。極低温から室温にわたる広い温度領域で創発マヨラナ粒子を捉えるという本研究の提案は、さまざまな物質や理論模型に応用が可能であるため、今後量子スピン液体の実証方法のひとつとして広く用いられていくことが期待される。

また、本研究が明らかにした創発マヨラナ粒子が室温まで存在するという可能性は、これまでボース粒子に基づいて議論されてきた磁性の常識を覆すものである。この発見は、フェルミ粒子の創発による新しい高温量子磁気現象の開拓につながる。

さらに、本研究で扱ったキタエフ模型は、元々はトポロジカルに保護された「堅牢な」量子計算[用語10]を実現するため提案された画期的な模型である。この量子計算では、キタエフ模型で実現する量子スピン液体の創発マヨラナ粒子が重要となるため、本研究の成果は、量子情報の分野にも大きなインパクトを与える。

用語説明

[用語1] 量子スピン液体 : 磁性絶縁体の示す磁気状態のひとつ。通常の磁性体は温度を下げるとある温度以下で電子スピンが整列するが、強い量子効果が存在するとこれが妨げられ、極低温まで電子スピンが整列しない新しい磁気状態が実現する。これが量子スピン液体である。

[用語2] ラマン散乱 : 物質に光を照射しその散乱光を調べることによって、物質の性質を調べる手法。物理学のみならず、化学、生物学、薬学等の分野においても広く用いられている。磁気ラマン散乱は、磁性体中の電子スピンの状態を調べるために用いるラマン散乱である。

[用語3] マヨラナ粒子 : 自身がその反粒子と同一な電気的に中性なフェルミ粒子。エットレ・マヨラナによって1937年に素粒子のひとつとして理論的に提案された。長年にわたる研究にもかかわらず、未だにその存在の確固たる証拠が見つかっていない幻の粒子である。素粒子物理学においてはニュートリノがマヨラナ粒子の候補と考えられ、精力的な研究が続けられている。

[用語4] 塩化ルテニウム(α-RuCl3 : 磁性を支配するルテニウムイオンが蜂の巣構造を形成する磁性絶縁体。ルテニウムイオンがもつ磁気モーメント間の相互作用は、相対論的な効果であるスピン軌道相互作用を反映した特殊な形をとり、キタエフ模型で良く記述されると考えられている。

[用語5] 創発(emergence) : 構成要素の持つ性質から単純に期待される性質を超えた新しい現象が系全体として現れること。構成要素間の相互作用が複雑な組織化を促すことで、このような単純な総和としては理解できない振る舞いを生み出す。

[用語6] キタエフ模型 : 基底状態が厳密に量子スピン液体状態を与える理論模型。2006年にアレクセイ・キタエフによって、乱れに強いトポロジカル量子計算を実現しうる模型として提案された。その後の理論研究によって、現実に存在するある種の磁性絶縁体のよいモデルとなりうることが指摘された。

[用語7] 量子モンテカルロ法 : 膨大な数の計算を、それに主に寄与するものだけを確率的に抽出して行う効率的な計算方法。強い量子効果が存在する系では、この確率が負になることで計算が破綻する負符号問題がしばしば発生するが、キタエフ模型における計算では、負符号問題が生じないため高精度の計算が可能である。

[用語8] ボース粒子とフェルミ粒子 : この世の中を構成するすべての基本粒子は、その統計的な性質の違いにより、これら2種類の粒子に分類される。同じ量子力学的な状態にいくつでも入ることができる粒子をボース粒子と呼び、ひとつの量子状態にひとつしか入ることができない粒子をフェルミ粒子と呼ぶ。これら2種類の粒子の違いは、特に存在確率のエネルギー・温度依存性に顕著に現れる。

[用語9] フィリップ・アンダーソン : 理論物理学者。量子スピン液体の提唱をはじめとして、磁性不純物の理論、磁性体中のスピンの相互作用及び素励起の理論、アンダーソン局在、スピングラスの理論、アンダーソン・ヒッグス機構の提唱等、数多くの先駆的な理論提案を行っている。1977年に磁性体と無秩序系の電子構造の基礎理論的研究に対してノーベル物理学賞を受賞。

[用語10] トポロジカル量子計算 : 系が持つトポロジカルな性質を用いた誤りに強い(フォールトトレラント)という性質を持つ量子計算。キタエフ模型は、この計算を可能にする理論模型のひとつである。

論文情報

掲載誌 :
Nature Physics
論文タイトル :
Fermionic response from fractionalization in an insulating two-dimensional magnet
著者 :
J. Nasu, J. Knolle, D. L. Kovrizhin, Y. Motome, and R. Moessner
DOI :

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Tel : 03-5734-2724 / Fax : 03-5734-2739

東京大学 大学院工学系研究科 物理工学専攻
教授 求幸年

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取材申し込み先

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