研究成果のポイント
- ダイヤモンド結晶内でスズ(Sn)と空孔(V)[用語1]からなるSnVカラーセンターを発見
- 2,000℃を超える高温高圧条件で加熱処理することにより、選択的にSnVセンターのみを形成
- 長い記憶時間を有する量子メモリーなど量子ネットワークへの応用に期待
概要
東京工業大学 工学院 電気電子系の岩崎孝之助教と波多野睦子教授、産業技術総合研究所 機能材料コンピュテーショナルデザイン研究センターの宮本良之研究チーム長、物質・材料研究機構の谷口尚グループリーダー、ドイツ・ウルム大学のフェドー・イェレツコ(Fedor Jelezko)教授らの共同研究グループは、スズ(Sn)を導入したダイヤモンドを高温高圧下で加熱処理し、スズと空孔(V)からなる新しい発光源(カラーセンター[用語2])の形成に成功した。
イオン注入法[用語3]により、スズを導入したダイヤモンドを高温高圧下に置き、スズと空孔が結びついたスズ―空孔(SnV)センターを作製。理論計算や低温計測により、SnVセンターは従来のカラーセンターの課題をすべて解決する可能性があることを明らかにした。今後、長いスピンコヒーレンス時間[用語4]を実証することで、長距離量子ネットワーク通信に必要な量子メモリーへの応用が期待される。
安定な単一光子源として機能するダイヤモンド中のカラーセンターは、量子情報ネットワークへの応用が期待されている。だが、これまでに使用されていたカラーセンターは小さな発光強度、外部電界ノイズによる不安定な発光、さらに短いスピンコヒーレンス時間など問題を抱えていた。
本研究成果は2017年12月22日(米国時間)、米国物理学会の「Physical Review Letters(フィジカル・レビュー・レターズ)」に掲載された。
研究の背景
固体物質中に形成される量子発光体は量子メモリーなど量子情報ネットワーク応用にとって有望な系として研究が進められている。しかし、これまで報告されてきた半導体量子ドットやダイヤモンド中の窒素-空孔(NV)センターは、それぞれマイクロ秒程度に制限されたスピンコヒーレンス時間や全発光強度のうち量子光源として利用可能なゼロフォノン線[用語5]からの発光が数パーセントのみでありその発光強度が小さいなどの問題があった。ごく最近、ダイヤモンド中のカラーセンターのひとつであるシリコン-空孔(SiV)センターを100 mKまで冷やすことでスピンコヒーレンス時間10 ms(ミリ秒)が達成されたが、複雑かつ大規模な希釈冷凍機が必要であり、冷却が容易となるK程度の高い温度においては量子ネットワークに応用できるようなミリ秒以上の長いスピンコヒーレンス時間の達成が困難であるという問題があった。
研究成果
今回の研究では、長いスピンコヒーレンス時間を達成するためのアプローチとして、スピンコヒーレンス時間を決定する重要な物理量である基底状態分裂[用語6]の大きい新しいカラーセンターをダイヤモンド内に作製することを試みた。これまでのシリコンやゲルマニウム(Ge)に代えて重元素のスズをダイヤモンドに導入し、高温高圧状態(7.7 GPa=ギガパスカル、 2,100℃)で加熱処理することにより、スズと空孔が結びついたスズ-空孔(SnV)センターを形成した。
量子力学の基本原理に基づいた第一原理計算[用語7]から、ダイヤモンド中に取り込まれた大きなスズ原子は格子間位置に存在し、2つの空孔に挟まれた構造をしていることがわかった。この原子配置は電界などの外部ノイズの影響を受けにくく、安定した発光波長を得ることができる。実験から、SnVセンターは室温において波長619ナノメートル(nm)に鋭いゼロフォノン線をもって発光することがわかった。単一発光源として機能させることにも成功し、その発光強度が従来のカラーセンター(NV、SiV)よりも大きいことを確かめた。
冷却下での計測から、このゼロフォノン線は4つに分裂し、基底状態分裂がSiV、 GeVセンターよりも大きな約850 GHzを有することがわかった。この基底状態分裂はSiVの48 GHzよりも桁違いに大きいため、メモリー時間を短くする原因となる結晶格子振動の影響を大幅に減少させることができる。それにより、2 K程度で長いスピンコヒーレンス時間(ミリ秒)の達成が予測される。SiVで不可欠な希釈冷凍機を必要とせずに、量子ネットワーク中の量子メモリーとしての利用が期待でき、この発見は長いスピンコヒーレンス時間を有する光-物質量子インターフェースの確立へのブレイクスルーとなる可能性を有している。
- 図1.
- ダイヤモンド中のSnVセンター。(左)IV族元素の周期表。(中央)高温高圧加熱処理後のSnVセンターからの発光スペクトル。(右)SnVセンターの原子レベル構造。赤丸と黒丸はそれぞれスズ原子と炭素原子。
- 図2.
- SnVセンターの微細構造およびエネルギー分裂幅。基底状態はスピン‐軌道相互作用により分裂する。大きな元素ほどスピン-軌道相互作用が大きくなるために分裂幅も大きくなる。
今後の展開
SnVセンターはこれまで研究されてきたダイヤモンド中のカラーセンターの欠点である低発光強度、不安定な発光波長位置、短スピンコヒーレンス時間をすべて解決する可能性を有している。長いスピンコヒーレンス時間の計測を通して、長距離量子ネットワーク構築のための量子メモリーとしての応用が期待できる。また、量子センサーとして機能する可能性も持っており、センサー・単一光子発光源・メモリーなど様々な量子光学素子としての応用展開が期待できる。
本研究は、国立研究開発法人科学技術振興機構のさきがけ・研究領域「光の極限制御・積極利用と新分野開拓」(IV族元素を用いた固体量子光源エンジニアリング)およびCREST・研究領域「素材・デバイス・システム融合による革新的ナノエレクトロ ニクスの創成」(炭素系ナノエレクトロニクスに基づく革新的な生体磁気計測システムの創出)の支援を受けて行われました。
用語説明
[用語1] 空孔 : 固体結晶において、本来あるべき原子が抜けて孔となっている格子位置のこと。ダイヤモンドの場合は、炭素原子が格子位置からはずれることで空孔が発生する。空孔のVはベーカンシー(Vacancy)の頭文字。
[用語2] カラーセンター : ダイヤモンドなどの固体物質中に形成される欠陥構造で、光の吸収や外部励起による発光を示す。欠陥構造が孤立して存在し、単一光子源として機能するものを単一カラーセンターと呼ぶ。
[用語3] イオン注入法 : イオン化した目的元素を加速することによって固体内に導入する手法。
[用語4] スピンコヒーレンス時間 : スピンに保存された量子情報が消失してしまう時間。異なるスピン状態間の位相関係が外部からの撹乱により乱されることにより起こる。
[用語5] ゼロフォノン線 : 発光においてフォノンの遷移を伴わないもの。
[用語6] 基底状態分裂 : スピンと軌道の相互作用により生じるエネルギーの分裂。小さな分裂であるため、励起状態分裂も総称して微細構造とも呼ばれる。
[用語7] 第一原理計算 : 原子間の相互作用を量子力学の基本原理にのっとって電子の量子状態から計算し、物質の性質や挙動を調べる手法。実験に基づかないため、非経験的電子状態計算ともよばれる。
論文情報
掲載誌 : |
Physical Review Letters |
論文タイトル : |
Tin-Vacancy Quantum Emitters in Diamond |
著者 : |
Takayuki Iwasaki, Yoshiyuki Miyamoto, Takashi Taniguchi, Petr Siyushev, Mathias H. Metsch, Fedor Jelezko, Mutsuko Hatano |
DOI : |
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