要点
- 表層グリアで発現するインシュリン様タンパク質がGogoのリン酸化を促進。
- グリアとの結合を促進する脱リン酸化Gogoと、糸状仮足の伸長を抑制するリン酸化Gogoにより「1カラム1軸索」を可能に。
- 幅広い動物における神経回路形成の解明につながる重要な成果。神経回路の再生医療への応用につながる成果。
概要
東京工業大学 生命理工学院 生命理工学系の武智広樹大学院生、羽毛田聡子研究員、鈴木崇之准教授らの研究グループは新潟大学、金沢大学と共同で、脳内の神経回路形成機能の一端を解明した。Gogo受容体[用語1]がグリア細胞[用語2]から分泌されるシグナルにより制御され、1つのカラム構造[用語3]に視神経軸索[用語4]が1つだけ入る「1カラム1軸索」則が機能することが分かった。
感覚神経などの求心的な神経の軸索は、カラム状に区画分けされた脳の領域に侵入し、固有の標的神経細胞[用語5]に接続して機能的な神経回路を形成する。この神経回路形成ではカラムの特異的な神経細胞の接続にGogo受容体が鍵を握ることが示唆されていたが、その仕組みについては未解明であった。
本研究でカラムの中心にグリア細胞の突起が1本侵入し、それを囲うようにR8視神経細胞[用語6]の軸索が投射することが分かった。R8軸索上のGogo受容体はグリアとの結合促進、糸状仮足[用語7]伸長の抑制という2つの異なる機能を持ち、この相互作用が正常なカラム構造の形成に必要となる。更に、この機能は表層グリアから分泌されるインシュリン様タンパク質[用語8]が制御していることが分かった。
本研究はショウジョウバエの視神経系を用いて実施された。神経軸索回路形成における普遍的な原理原則として広く高等動物でも使われている可能性があり、神経回路形成の謎を解く重要な成果と言える。
研究成果は3月5日、国際科学誌「eLife(イーライフ)」に公開された。
背景
神経細胞は生まれてから、軸索を伸ばして次につながる神経細胞を探し当てる。この「神経軸索の投射[用語9]」という現象を通して膨大な数の神経細胞がお互いにつながり合い、複雑な神経回路を形成する。道標となるタンパク質が軸索を決まった道に沿って誘導し、標的となる神経細胞へと導くことが知られている。
視覚神経系では多数ある網膜上の視神経細胞が脳へ軸索を投射する際、互いに一定の距離を保った位置に、網膜上の位置関係を保ったまま、投射することが知られている。ショウジョウバエの場合、脳にはカラム状の構造が敷き詰められており、視神経細胞の軸索は自分の網膜上の位置に対応するカラム状構造に1つずつ投射し、決して1つのカラムには2本の軸索は投射しない。
しかしながら、Gogo受容体の変異体では、往々にして2つの軸索が1つのカラムに投射することが観察されており、Gogoがこの「1カラム1軸索」則を制御していることが示唆されたが、そのメカニズムはわかっていなかった。
研究の経緯
武智大学院生らは、Gogoタンパク質[用語10]の局在を詳細に解析した結果、Gogoは発生初期から中期にかけてのみ発現していることが分かり、軸索がカラム内深く伸長する発生後期にはGogoの発現は止んでいることが分かった。発生後期にも機能があるという従来の考えを改め詳細な機能解析を行った結果、Gogoは三齢幼虫期の中期までに2つの機能を持つことを見出した。
加えてこのGogoの2つの機能はそれぞれGogo内部のチロシン残基[用語11]のリン酸化状態によって分担されており、脱リン酸化型Gogo[用語12]とリン酸化型Gogoは別々の機能を担っていることが分かった。
ではGogoをリン酸化させるシグナルは何で、どこから来ているのか。それは、脳の表層グリア[用語13]から分泌されるインシュリン様タンパク質であることも分かった。これらのことから、Gogoはまずカラム中心のグリアを認識することと、さらに異常な糸状仮足の伸長による軸索同士の絡み合いを防止することによって、R8の「1カラム1軸索」則[用語14]を遵守させるように機能していることが明らかになった。
研究成果
1. 2つのリン酸化状態のGogoが、それぞれ異なる機能を有しながら、R8軸索投射を制御している。
Gogoは三齢幼虫期にR8とカラム中心のグリアと相互作用を仲介すること、サナギ中期には放射状に延びようとするR8の糸状仮足を抑制していることの2つの機能を持つことを見出した。加えてこのGogoの2つの機能はそれぞれGogo内部のチロシン残基のリン酸化状態によって分担されており、脱リン酸化型Gogoは前者を、リン酸化型Gogoは後者の機能を担っていることが分かった(図1)。
2. 表層グリアが分泌するインシュリン様タンパク質がR8のGogoをリン酸化するシグナルとなっている。
Gogo細胞内ドメインのチロシン残基のリン酸化シグナルは、サナギ期に表層グリアから分泌されるインシュリン様タンパク質が制御していることが分かった。
3. グリアの突起がカラムに1対1で投射しており、それが視神経R8軸索を導いている。
カラムの中心にグリア細胞の突起が1本侵入し、それを囲うようにR8視神経軸索が投射することが分かった(図2)。R8軸索上のGogo受容体はグリア上に局在するFmi[用語15]と結合し、この相互作用が1つのカラムに1本の軸索が入っていくことに必要であることが分かった。
今後の展開
今後考えられる展開は2つある。
(1)R8が最初にカラムに到達するときにカラム中心にあるグリアの突起の表面上に存在する未知のタンパク質をGogoが認識し、それによってR8が「1カラム1軸索」則にのっとって投射していることが強く予想されている。今後はこのグリア上に存在し、Gogoと相互作用するタンパク質を同定したいと考えている。
(2)また、カラムに精密に1対1で投射するグリアの突起はどのようにして導かれているか?軸索投射と同じようなメカニズムがグリアの突起に対してもあるか?今後はグリア突起の投射の分子メカニズムも明らかにしていこうと考えている。
これらの問題を解明し、さらに応用することによって、再生した神経軸索を思いのままカラムにまで到達させることができるようになり、一度壊れてしまった神経回路の機能を復活させることができるようになるかもしれない。神経回路の再生による医療への応用に役立つ可能性がある成果である。
用語説明
[用語1] Gogo受容体 : ショウジョウバエの視神経軸索に発現する膜タンパク質の1つ。視神経の軸索投射を制御することが知られている。受容体であると考えられているが、リガンドはわかっていない。
[用語2] グリア細胞 : 膠状の細胞と呼ばれ、神経細胞の隙間を埋めるように存在する細胞種。神経細胞と異なり、電気信号の伝達を直接はおこなっていない。近年、その能動的で重要な役割が注目されている。
[用語3] カラム構造 : 脳の視覚神経節に存在する神経回路の構造。柱(カラム)状の構造が繰り返しひしめき合うように整列している。ここで視神経細胞と2次細胞のシナプスが形成され、情報の受け渡しが行われる。
[用語4] 視神経軸索 : 神経細胞の出力を担う突起。通常細胞1つに1本存在し、電気コードのような役目を担う。
[用語5] 標的神経細胞 : ある神経細胞が次に情報を与えるために接続する神経細胞のこと。発生過程で神経細胞が各々の接続相手を見つけ出し接続するために軸索を伸長・投射する、その相手の細胞のこと。
[用語6] R8視神経細胞 : ショウジョウバエの視細胞は8種類あるが、その発生の仕方や機能の違いからR1-6、R7、R8の3グループに大別することができる。R8は視細胞の中でも最初に産まれ、その軸索が最初にカラムに到達することで知られる。
[用語7] 糸状仮足 : 細胞が動こうとするときに糸状の細い突起を伸ばして行先に接触して探りを入れていく。軸索の先端にも伸長時には糸状仮足が多数存在し、周囲の様子を探るようにうごめく。
[用語8] インシュリン様タンパク質 : ヒトのインシュリンのショウジョウバエにおける相同タンパク質。ヒトには1遺伝子あるのに対して、ショウジョウバエには8遺伝子ある。
[用語9] 神経軸索の投射 : 視神経軸索が複眼から脳の標的細胞を目指して伸長し接続することを言う。視神経の場合、隣り合った視細胞が脳に投射する際にもその位置関係を保ったままであるという特徴が生物種を超えて保存されている。
[用語10] Gogoタンパク質 : Gogo受容体と同義。
[用語11] チロシン残基 : タンパク質を構成するアミノ酸の1つであるチロシン。その側鎖がリン酸化されることによってタンパク質の酵素活性が強くなったり弱くなったりすることがあることから、リン酸化されるこの残基を持ったタンパク質は細胞シグナルの重要な役割を担っていることが多い。
[用語12] 脱リン酸化型Gogo : チロシン残基がリン酸化されていない、もしくはリン酸化された後に脱リン酸化された状態のGogoタンパク質。
[用語13] 脳の表層グリア : 脳の表面を包み込むように存在するグリア細胞。
[用語14] R8の「1カラム1軸索」則 : 1つのカラムに視神経軸索が1つしか投射しないように制御されている、その態様、または自然界の規則。
[用語15] Fmi : Flamingo(フラミンゴ)というカドヘリンの一種である7回膜貫通型タンパク質。
論文情報
掲載誌 : |
eLife |
論文タイトル : |
Glial insulin regulates cooperative or antagonistic Golden goal/Flamingo interactions during photoreceptor axon guidance |
著者 : |
Hiroki Takechi, Satoko Hakeda-Suzuki, Yohei Nitta, Yuichi Ishiwata, Riku Iwanaga, Makoto Sato, Atsushi Sugie, Takashi Suzuki |
DOI : |
- プレスリリース 視神経回路形成における「1カラム1軸索」の仕組みを解明 —グリア由来のシグナルが視神経軸索の投射を制御—
- 後生動物細胞からの内生グアノシン4リン酸(ppGpp)の検出に成功|東工大ニュース
- 神経軸索が脳内に潜る深さを決める仕組みを解明 ―2遺伝子の活性と軸索投射の深度が比例―|東工大ニュース
- 刺激に対する脳神経の環境適応能力を解明―神経回路の過剰な興奮伝達を抑制―|東工大ニュース
- 鈴木崇之准教授、中辻寛准教授に平成25年度東レ科学技術研究助成が決定|東工大ニュース
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- 研究者詳細情報(STAR Search) - 鈴木 崇之 Takashi Suzuki
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E-mail : suzukit@bio.titech.ac.jp
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