要点
- バイポーラ電極の仕組みを利用し、基板に対して、任意の位置・形状に有機化合物を製膜する技術を開発
- 有機エレクトロニクスデバイス製造におけるパターニング技術として期待
- 水を媒体とする、簡便で環境負荷の低い手法
概要
東京工業大学 物質理工学院 応用化学系の稲木信介准教授、Yaqian Zhou(ヤチェンチョウ)大学院生(博士後期課程3年)らは、色素などの有機化合物を、水中において基板上へ自在に塗布する技術を開発した。
薄く、軽く、柔軟性に富んだ電子デバイスに基づく有機エレクトロニクスでは、プラスチックやガラス(またはそれらに導電性を付与したもの)などの基板に、有機化合物の薄膜をつくることで素子を作製する。現状では薄膜の作製には、大がかりな装置を必要とする真空蒸着法や、有機溶媒を使用するスピンコート法などを用いることが主流になっている。また、任意の位置・形状に膜を作製するにはそれ以外の場所をマスク[用語1]などで保護する必要があった。
本研究では、ワイヤレスで任意の位置に電位を加えられるバイポーラ電極[用語2]の仕組みを利用し、水中で電気刺激を与えることで、有機化合物を内包させたミセル[用語3]を崩壊させ、ミセルに内包されていた有機化合物を、電極基板表面の任意の位置・形状に塗布することに成功した。
本研究の手法は、マスクを施すことなく基板に自在に製膜できるため簡便で、水を媒体として用いるため環境に配慮した手法として有益でもあり、有機トランジスタなどの有機エレクトロニクスデバイスにおけるパターニング[用語4]技術として期待される。
研究成果は5月17日に、ドイツ化学会誌「Angewandte Chemie」国際版にEarly Viewとしてオンライン掲載された。
背景
プラスチックやガラス(またはそれらに導電性を付与したもの)などの基板上に有機化合物の薄膜をつくることにより回路や素子を作製する有機エレクトロニクスは、薄さ、軽さ、柔軟性を兼ね備えた電子デバイスを使用することから、情報化社会をさらに進展させる手段として期待を集めている。
成膜の素材となる有機化合物は疎水性のものが多く、現状では有機溶媒を用いる塗布プロセス(スピンコート法やインクジェット法)や、大がかりな装置を必要とする真空蒸着法によって基板に製膜する方法が一般的である。また、スピンコート法や真空蒸着法では、任意の位置・形状に製膜するためには膜が不要な部分をマスクなどで覆う必要もあり、より簡便で、なおかつ環境負荷を抑えた製膜技術の開発が求められていた。
稲木准教授らは、製膜のために有機化合物を基板に塗布する手段として、バイポーラ電気化学[用語5]に、ミセル電解法[用語6]を組み合わせることを着想。これにより、マスクを必要とせず、有機溶剤も使わずに、水を媒体とした有機化合物による製膜プロセスの考案を目指した。
研究手法と成果
親水基と疎水基を持つ界面活性剤などの分子が、溶液中でコロイド状の集合体となったミセルは、水中で洗剤やせっけんが汚れを包み込んで落とすのと同様の原理によって、水中で色素などの疎水性有機化合物を内包することができる。
電気化学活性を持ったミセルは、バイポーラ電極表面において電気化学反応を起こして容易に崩壊し、内包した分子を放出する。稲木准教授らは、このミセル電解法を用い、あらかじめミセルに内包させておいたビニルカルバゾールモノマー[用語7]、フタロシアニン色素[用語8]、凝集誘起発光性分子[用語9]などの機能性有機化合物を、有機エレクトロニクスの基板などに使われるITO透明導電ガラス(ITOガラス)の表面に任意の形状で塗布することに成功した。
水溶液中にITOガラスを設置したバイポーラ電気化学セルを用意して、外部電極から水溶液中に電場を発生させることにより、ITOガラスが、回路に非接触でありながらバイポーラ電極として機能するようになる(図1)。このときITOガラス上に、電位分布を傾斜的または局所的に自在に発生させることができる。このバイポーラ電極を用いてミセル電解法を行った結果、陽極部位(+のエリア)において、選択的にミセルの崩壊と内包分子の放出・析出が起こった。ガラスに塗布された傾斜膜の厚み(数マイクロメートル程度)は、発生させる電場の大きさにより制御することができ、電位分布を反映して徐々に厚みが変化していることもわかった。また、局所塗布膜に関しては、電場の分布を変えることにより製膜面積を制御することもできた。
- 図1.
- バイポーラ電極上でのミセル電解法により作製した傾斜塗布膜および局所塗布膜
今後の展開
本研究により、バイポーラ電気化学にミセル電解法を組み合わせた新たな手法が、簡便に、かつ環境負荷を抑えながら、導電ガラス基板上に有機化合物の製膜を行う手段となることが実証された。本研究で使用されたビニルカルバゾールモノマー、フタロシアニン色素、凝集誘起発光性分子は、有機ELや有機トランジスタなどのデバイスにおいて重要な役割を果たす機能性有機化合物である。この新しい製膜プロセスは、ほかにも多種多様な有機化合物、フラーレンなどの炭素材料、高分子化合物などにも適用可能であると考えられ、また、フレキシブル導電基板などにも塗布できることから、有機エレクトロニクスにおけるパターニング技術としての発展が期待される。
付記
本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業さきがけ 研究領域「電子やイオン等の能動的制御と反応」(研究総括:関根泰)における研究課題「外部電場により駆動するワイヤレス電解反応システムの構築」(研究者:稲木信介(JPMJPR18T3))、科学研究費 基盤研究(B)(研究者:稲木信介(JP20H02796))、ならびに「東工大の星」支援【STAR】の支援を受けて行われた。
用語説明
[用語1] マスク : 蒸着やコーティングの際、塗布したくない箇所を物理的に覆うもの。通常、パターニングのためにはマスクの作製や除去などが必要となる。
[用語2] バイポーラ電極 : 電源からの給電がないにもかかわらず、電気化学反応を駆動する導電体。ワイヤレス電極とも呼ぶ。バイポーラ電気化学(用語5)の原理により発現する。
[用語3] ミセル : 溶液中で界面活性剤などの分子がコロイド状の集合体となったもの。
[用語4] パターニング : 有機エレクトロニクスデバイスの製造において、望みの位置・形状に有機物薄膜を作製するための技術。乾式の真空蒸着法や湿式のスピンコーティング法、インクジェット法などがある。
[用語5] バイポーラ電気化学 : 電解液中において、電源からの給電を受けず、外部電場の力によりワイヤレスで駆動するバイポーラ電極では、酸化反応と還元反応が同時に進行する。この現象に基づく電気化学を総称してバイポーラ電気化学と呼ぶ。
[用語6] ミセル電解法 : 電気化学活性を持つミセルを、電極の表面で起こる電気化学反応によって崩壊させ、内包していた分子を放出させる手法。佐治哲夫東工大名誉教授らによって発展した。
[用語7] ビニルカルバゾールモノマー : 有機EL素子の電子輸送層や発光層として用いられるポリ(N-ビニルカルバゾール)の原料モノマー。
[用語8] フタロシアニン色素 : 鮮やかな青色や緑色を示す顔料。有機半導体としても知られ、有機ELや有機電界効果トランジスタ等にも使用される。
[用語9] 凝集誘起発光性分子 : 希薄溶液中では発光せず、固体・凝集状態で発光する蛍光性分子。
論文情報
掲載誌 : |
Angewandte Chemie International Edition |
論文タイトル : |
Fabrication of Gradient and Patterned Organic Thin Films by Bipolar Electrolytic Micelle Disruption Using Redox-active Surfactants |
著者 : |
Yaqian Zhou, Naoki Shida, Ikuyoshi Tomita, Shinsuke Inagi (ヤチェンチョウ、信田尚毅、冨田育義、稲木信介) |
DOI : |
- プレスリリース 基板へ色素分子を自在に塗布する新技術─有機エレクトロニクス分野における、簡便で環境負荷の低い新技術として期待─
- 高分子ファイバーでワイヤレス電極をつなぐ―電子デバイス配線への応用に道―|東工大ニュース
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- 稲木研究室
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准教授 稲木信介
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