「東工大立志プロジェクト」は、今年度から開講した学士課程1年目の学生向けの必修科目です。東工大の教養教育を推進すべく今年度新設されたリベラルアーツ研究教育院が注力する本科目についてご紹介します。
「東工大立志プロジェクト」とは何か?
学士課程1年目の学生全員が受講する「東工大立志プロジェクト」は、3年目の必修科目である「教養卒論」、修士課程の選択必修科目「リーダーシップ道場」、そして博士後期課程で履修する「学生プロデュース科目」と並んで文系教養科目の「コア学修科目」の1つに数えられます。新入生全員が入学直後の第1クォーターに履修することから、教養教育の全体を支える要石となる科目といえます。本学の教育改革、とりわけ刷新された教養教育の目玉として当科目の精神を内外に広く打ち出すべく、リベラルアーツ研究教育院に所属する全教員が精魂を傾けてデザインと運営に携わっています。
本学の教養教育の大きな目標は、専門教育をサポートしつつも、社会性と人間性を兼ね備えた「志」ある人材を育成することです。そのため、学士課程から博士後期課程まで9年間の教養教育を各自のゴールに向かって志を立てるプロジェクトに見立てたうえで、「東工大立志プロジェクト」は大学での学びに向けた自己発見と動機づけを行うことを目指しています。
大学での学びとは何でしょうか? 高校までの勉強と大きく違うのは、自ら問いを立てるということです。高校までは、与えられた問題に対して正解を答えれば、試験でも高得点を得られ、厳しい受験競争を勝ち抜くこともできたわけです。東工大生は正解を効率よく導き出すことが得意ですが、それだけでは学問の世界では通用しませんし、科学技術で求められるイノベーションを起こすこともできません。東工大のような理工系大学での学びで大事になってくるのは、答えを出すことよりも、未発見の問題の所在を嗅ぎわけ、埋もれていた問題を発掘し、場合によっては新たに問題を創造することです。ですから、入学直後にこうした受験に焦点をあてた高校までの学びから脱却してもらい、問いを立てることの醍醐味を一端でも味わってもらえるように、「東工大立志プロジェクト」はデザインされています。社会のありように向けて、世界の広がりに向けて、人間の深奥に向けて、そして自己の実存に向けて問いを立てること。これを「志を立てる」ことと定義しています。
「東工大立志プロジェクト」のしくみ
講堂での大人数講義と30人以下の少人数クラスでの演習を交互に実施します。
講堂での大人数講義では、さまざまな分野において第一線で活躍する方々をゲスト講師として招き、リベラルアーツ研究教育院長の上田紀行教授(専門:文化人類学)の司会により、現代社会にあり得る問い、あるいは長い歴史を通じて人間がこの世界に投げかけてきた問いについての講義を行っています。
今年度、講師を務めたのは、以下の方々です。
講師 |
テーマ |
---|---|
本学リベラルアーツ研究教育院 特命教授 池上彰氏 |
「良き問いを立てるために」 |
公立はこだて未来大学 教授 美馬のゆり氏 (教育工学) |
「学びの経験をデザインする!」 |
立命館大学 特別招聘准教授 開沼博氏 (社会学) |
「学問としての福島」 |
日本大学 教授 永井均氏 (哲学) |
「<私>とは何か」 |
劇作家・演出家 平田オリザ氏 |
「わかりあえないことから」 |
松林寺住職・シャンティ国際ボランティア会副会長 三部義道氏 |
「命の使い方」 |
講義の後の課題として、各自が講義の「ふりかえりノート」を作成します。このノートを少人数クラスに持ち寄り、4人ずつの小グループでの演習の際の対話に役立てます。講義での問いをきちんと受け止めたうえで、仲間とのコミュニケーションを通じて自分(たち)の問いを練り上げていく、このプロセスを幾度か繰り返したあと、少人数クラスの最終回で、各自が、あるいは各グループが立てた「志」を発表します。この過程で他者の考えに耳を傾ける力、それを自分の経験や将来像と照らし合わせながら自分の言葉で再考する力、さらにはそれを他者に説得的に伝える力、すなわち真の意味でのコミュニケーション力の基礎を築くのです。
コミュニケーションはもちろん、人と人の間ばかりでなく、人と書物の間でも成り立ちうるものという考え方から、「東工大立志プロジェクト」では、本を介したコミュニケーションも大切にしています。そのため、開講中に本を読んで「書評」にまとめる課題も課されます。多様な分野とジャンルにまたがる課題図書のリストから本を選び、その感想を「書評」にまとめて小グループのメンバー同士で読みあいます。学期末には、その相互レビューを反映させた「書評」の完成版を提出します。なかにはだいぶ苦しんだ学生もいたようですが、本とのつきあい方を学ぶという点では、貴重な経験になっています。
リベラルアーツ研究教育院の所属教員が自身の専門を離れて少人数クラスの担任となり、グループディスカッションが建設的に進展するようサポートするファシリテーター(進行役)の役割を担います。こうして履修者各自の自主性が発現するのに任せ、同時に、おのおの違った出自と目標を持つ履修者同士が垣根をこえてコミュニケーションできるよう配慮されています。コミュニケーションを促進するツールとして、「えんたくん」と呼ばれる円卓型の段ボール板を4人の膝の上や机の上に置き、話し合いのなかで出てくるキーワードやアイデアをカラーマーカーでどんどん書き込んでいきます。これが意外なほどの効果をもたらし、議論が盛り上がって面白いアイデアが生まれてきます。
「東工大立志プロジェクト」が大人数講義と少人数演習を有機的に組み合わせた設計になっているのは、コミュニケーション力の開発以外の意図も込められています。それは、東工大の豊かな文系講義の伝統を、現代に即した方法で更新することです。かつて東工大には、宮城音弥氏(心理学)、伊藤整氏(英文学)、鶴見俊輔氏(哲学)、永井道雄氏(社会学)、川喜多二郎氏(文化人類学)、永井陽之助氏(政治学)、江藤淳氏(文学)など、いずれも戦後日本の世論を形成、牽引してきたそうそうたる面々が教授として招かれ、文系の砦を築いてきました。これらの大物たちが、少人数の学生(かつては1学年の学生数が現在の3分の1でした)に向けて知的愉悦に満ちた講義を展開していたわけです。もちろん現在でも、リベラルアーツ研究教育院は、専門分野で一流の業績を残していたり、新進気鋭の若手としてマスメディアで活躍していたりする著名な教授陣を有しています。しかし同時に、1学年の学生数が3倍に増加し、大学自体の規模が大きくなった現在、少人数で密なコミュニケーションを取りながら先端的な文系教養の講義を展開するのが極めて困難になっています。これを解決するために、大人数講義と少人数演習の組み合わせを取り入れました。
初年度の講義を終えて
リベラルアーツ研究教育院の教員は、本科目の開講に向けた準備に多大な精力を費やしてきました。組織が新設されたばかりで、講義体系も1から組み立てねばならず、不安を抱えたスタートとなりました。しかし、実際に講義が始まり、学生たちの生き生きした表情を目の当たりにすると、教員たち自身が「楽しい!」との感想を口にするようになり、抱えていた不安はすぐに払拭されました。
なんといっても一番の驚きは、講堂での大人数講義の際に矢継ぎ早に質問の手が挙がることです。鋭い質問に、ゲスト講師の先生もつい熱くなって話がなかなか途切れません。そこで、質問者の数を制限したところ、不満を覚えた学生が講義終了後に壇上に殺到し、予定外の特別セッションが延々と繰り広げられる事態になったこともあったほどです。
少人数クラスでは、各自が自分の頭で考え、発言しなければならないため、自分の時間を使って毎回の課題をこなし、書評を書き、発表の準備をするなど、学生の負担は軽くありません。しかし代わりに得たものも、決して小さくはなかったようです。実際、「この講義で何をするのか不安だったが、ディスカッションに参加すること自体がとても楽しかった」、「講義が終わってしまってさみしい」といった感想が聞かれました。
この講義を起点に、新入生の東工大における教養教育がスタートしました。「東工大立志プロジェクト」を通じて立てた志は、早速、複数の「学生プロジェクト」として実を結びつつあります。また3年目には、少人数クラスのメンバーが「教養卒論」で再結集し、各自が東工大生像をどれだけ更新しているかを確認し合います。
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