8月31日、大岡山キャンパスにて、東京工業大学博物館と目黒区教育委員会の連携による、生涯学習講座「東工大博物館のアーカイブズを覗いてみよう!」が開催されました。
本学博物館バックステージの見学ツアーとして企画し参加者を募ったところ、定員を遥かに超える44名の応募があり抽選で20名が選ばれました。
当日は百年記念館の1階で受付をし、本館に向かいました。道すがら、図書館、東工大のシンボルマークである「ツバメ」の名を冠したスーパーコンピュータ「TSUBAME」が入っている建物、学長室のある事務局1号館なども紹介しました。本学を象徴する本館に入り、1階のミニ展示(博物館の企画)「東工大ワンゲル部のパタゴニア遠征隊」を見た後、地下に下りて歴史を感じさせる倉庫・簿書庫の入口を、外から見学しました。昭和初期の扉や錠前は、古い映画に出てくる場面を連想させ興味深かったようです。
昭和9年(1934年)に完成し登録有形文化財でもある本館の中を移動する際には、昔のままの姿を残した廊下と近代風に改修された廊下を通りました。新旧の対照が印象的だったようです。昭和4年(1929年)の大学昇格当初は1学年150名で、実習用工場を除けば、本館だけでほぼ教育研究ができたことや、図書館も本館内に設置されたこと、そして、その図書館跡を現在資史料館として利用していることを説明しました。
ツアーの目玉である博物館バックステージ資史料館では、閲覧室や書庫を見学するとともに、文書類の収集から公開までの流れを実際の作業等を実演しながら理解してもらいました。具体的には、(1)生物被害への対処:CO2殺虫バッグや脱酸素剤による殺虫・殺菌処理、(2)除染と修復:卓上小型フード内でハケを用いて目立つ汚れを除去した後、史料の劣化原因となるホッチキス等の異物の除去及び簡便な補修、(3)目録作成、(4)史料の劣化原因となるホッチキス等の異物の除去及び折れやしわ伸ばし、(5)中性紙の封筒や保存箱への収納、(6)ディジタル化と専門家による修復などの工程をたどりました。
資史料館の書庫は、旧図書館時代は3層に仕切って使われていただけに、天井が極めて高く、かつ太い柱が多数配置されていますので、建築作品としても見栄えがします。関東大震災直後の設計ですので、耐震強度には余裕を持たせたのでしょう。参加者には、「普段見ることができないところを見ることができた」と好評でした。
ツアー後半は、場所を会議室に移して、資史料館や公文書室が所蔵する古い文書や図面類の中から入試問題、大岡山キャンパスの変遷を示す地図類、出陣学徒壮行会関連資料、明治41年(1908年)機械科卒のノート類の机上展示を見てもらうとともに、大岡山キャンパスの成り立ちを読み解いてもらいました。特に北地区にある「ひょうたん池」※がいつどのようにして作られ、水源はどこかという謎解きは、参加者の地元の話題でもあり非常に盛り上がりました。「次回は『呑川』を取り上げて欲しい」、という要望も出されました。
昭和22年(1947年)には、本学の敷地を洗足池まで広げ、東西に位置する昭和大学と東京都立大学(現首都大学東京)を誘致して、一大学園都市にすることが検討されたようで、残されている当時の構想図には、参加者から驚きの声が上がりました。
今回のバックステージツアーを通して、参加者は、博物館の所蔵資料がどのように集められ、どのような整理を経て公開に至るのか、そして、それを支える博物館職員のアーカイブズ業務について学ぶとともに、具体的な資料により大岡山キャンパスの成り立ちにも理解を深めました。
※ ひょうたん池 : 昭和7年から8年(1932年から1933年)にかけて、キャンパス整備事業の一環として作られたと推定される。清水窪湧水は洗足池の水源として知られるが、同じ湧水が尾根の反対側にも流れ細い水路となっていた。この水路がグラウンドや北地区の整地に伴い埋められ、一部がひょうたん池として残されたと思われる。当初はひょうたん池のくびれの部分には橋が架かっていた。