概要
極めて短い(ここでは1兆分の1秒以下の時間スケール)パルス幅を持つ電子線は、物質中の原子や分子の瞬間的な運動を観測するために用いられてきました。この計測技術は、5Gを上回る高速な情報通信の発展などに貢献すると期待されています。計測の時間分解能は電子線のパルス幅によって決まります。しかし、極めて短いパルス電子線のパルス幅を評価する手法は限られており、汎用的かつ簡便に評価する手法はありませんでした。
一般的に電子線パルスは、パルス幅が短くなるほど評価が難しくなると考えがちです。ところが、テラヘルツ波[用語1](電波と光の中間的な電磁波)を用いたストリーキング法[用語2](時間的に変化する電場で電子を曲げて、そのプロファイルを計測する手法)では、10兆分の1秒以下のパルス幅の電子線パルスを評価することはできましたが、それより長いパルス幅の電子線パルスを評価することはできませんでした。本研究では、テラヘルツ波を用いたストリーキング法で得られたシグナルの低周波成分をうまく解析すれば、10兆分の1秒以上の電子線パルスを評価できることを示しました。さらに、本手法に必要なテラヘルツ波の強度は数kV/cm以下と弱く、真空装置の中に特殊な計測セットアップを構築しなくても、1兆分の1~10兆分の1秒程度の時間スケールの電子線パルスを評価可能な汎用的で簡便な手法であることを示しました。
本手法は、世界中で開発されているさまざまな電子線源のパルス幅を計測する上で極めて重要です。テラヘルツ波とパルス電子線を利用するので、テラヘルツ波が照射された誘電体中の原子や分子の運動の観察などにも利用可能です。また、将来的には100兆分の1秒以下の時間分解能での計測が可能な装置の開発にもつながることが期待されます。
本研究は、筑波大学 数理物質系の嵐田雄介助教、羽田真毅准教授らと、東京工業大学 理学院 化学系の腰原伸也教授、田久保耕特任助教の共同研究グループにより実施され、12月13日の「ACS Photonic」に掲載されました。
研究の背景
フェムト秒(1,000兆分の1秒)からピコ秒(1兆分の1秒)のパルス幅を持つ極短パルス電子線は、光を当てたときに物質に生じる瞬間的な原子や分子の運動を直接的に観測するために使われてきました。これらの計測の時間分解能は電子線のパルス幅によって決まります。この極短パルス電子線のパルス幅を評価する手法としては、真空中で発生させたプラズマと電子線の相互作用を用いるもの、ポンデロモーティブ力[用語3]によって電子を散乱させる手法、瞬間的な電場を生じさせて電子を偏向させる方法(ストリーキング法)などが考案されてきました。しかし、これらの方法にはパルス幅によって使える手法が限られている、あるいは複雑な光学系を真空装置内に入れないといけないという問題点があり、汎用的に評価する手法はありませんでした。簡便かつ汎用的に極短パルス電子線のパルス幅を評価する手法が求められていました。
研究内容と成果
本研究チームは今回、ピコ秒のパルス幅を持つテラヘルツ波を共振器に導入することでできる瞬間的な電場を用い、電子線を時間的に偏向する(ストリーキング法)ことで、電子線のプロファイルを計測し、そのパルス幅の評価を行いました(図1、図2)。
通常、パルス電子線は真空装置内で発生し、物質と相互作用することで検出されます。従って、パルス電子線を評価するための光学系は、真空の中に設置することが多かったのです。一方、テラヘルツ波を用いたストリーキング法では、パルス電子線を評価するための光学系を真空装置の外に置くことができるため、装置の自由度が高いのが特徴でした。
ストリーキング法では、時間的に変化する電場でパルス電子線を偏向し、そのスクリーン上での偏向角をパルス幅として換算することで、そのパルス幅を評価します。その際、共振器内で形成される電場の周波数の半周期以上のパルス幅を持つパルス電子線は、スクリーン上において同じところに記録されるため、評価が困難となります。このため、テラヘルツ波を用いたストリーキング法では従来、共振器内で形成される電場の周波数の半周期以下のパルス幅(10兆分の1秒以下)の電子線しか評価することができませんでした。
本研究チームは、テラヘルツ波を用いたストリーキング法で得られた結果に関して、テラヘルツ波に含まれるより低周波成分に注目し、この低周波成分による電子線の偏向成分だけを取り出して解析することで、10兆分の1秒以上のパルス幅を持つ電子線の評価が可能であることを示すことに成功しました(図3、図4)。また、テラヘルツ波を用いたストリーキング法に必要なテラヘルツ波の強度は、数kV/cm以下と比較的弱くてもよいということを示しました。
- 図4.
- テラヘルツ電場によって生じた電子線の偏向角(a)とその理論計算結果(b)、左パネルが時間的な変化で右パネルがそのフーリエ変換[用語4]
今後の展開
パルス電子線は、パルス電子線そのものを利用する超高速時間分解電子線回折実験[用語5]のみならず、大型の放射光施設でも、パルス電子線をパルスX線に変換するなどして広く物質の構造解析や瞬間的な動的構造の解明に利用されています。従って、パルス電子線のパルス幅を簡便にかつ汎用的に評価できる本手法は、世界中で開発されているさまざまな電子線源のパルス幅を計測する上で極めて重要です。また、テラヘルツ波は瞬間的な電場と考えることもでき、テラヘルツ波によって物質中の原子や分子は誘電応答を示すことがよく知られております。本装置は、テラヘルツ波とパルス電子線を利用するので、テラヘルツ波が照射された誘電体中の原子や分子の運動の観察などにも利用できます。さらに、テラヘルツ波を用いたストリーキング法を時間分解電子線回折実験に応用することにより、将来的には100兆分の1秒以下の時間分解能で光照射による原子、分子の運動を計測可能な装置の開発などにもつながります。すなわち、本研究は現在注目されているペタヘルツ領域[用語6]における、電子や原子、分子の動きを見る装置の原理を確認することができたと言えます。
研究資金
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金基盤研究(B)「動的機能を有する物質開拓のための超高速三次元構造ダイナミクス(代表者:羽田真毅)」、科学研究費補助金基盤研究(A)「THz波共鳴型電子波パルス圧縮を用いたフェムト秒走査電子顕微鏡可視化技術の創出(代表者:藤田淳一)」、科学研究費補助金特別推進研究「光と物質の一体的量子動力学が生み出す新しい光誘起協同現象物質開拓への挑戦(代表者:腰原伸也)」などの支援を受けて行われました。
付記
本研究における実験部材の加工は、東京工業大学 オープンファシリティセンター設計製作部門 杉原氏の協力を得て行われました。
用語説明
[用語1] テラヘルツ波 : テラヘルツは周波数にして1012(1兆)ヘルツの領域で、テラヘルツ波は波長が約30~3,000 μm(μmは100万分の1メートル)程度の電波と光の中間的な電磁波。
[用語2] ストリーキング法 : 時間的に変化する電場によって荷電粒子(ここでは電子)を偏向し、スクリーン上でその偏向角を計測することで荷電粒子のパルス幅を計測する手法。
[用語3] ポンデロモーティブ力 : 強度が一様でない電磁場によって荷電粒子(ここでは電子)が感じる力をポンデロモーティブ力という。短いパルス幅を持つレーザーを強集光することで生じた強い電場によってポンデロモーティブ力を形成し、その力で電子を散乱させることで電子線のパルス幅を計測することが可能である。
[用語4] フーリエ変換 : 元の関数を周波数領域表現(関数や信号を周波数に関して解析すること)に写す変換。
[用語5] 超高速時間分解電子線回折法 : 光照射によって生じる瞬間的な原子・分子の周期構造の変化を直接的に観測することが可能な測定手法で、得られた構造変化を時系列順につないで、「分子動画」を撮影する。
[用語6] ペタヘルツ域 : 周波数にして1015(1,000兆)ヘルツの領域で、時間としていわゆるフェムト秒と言われる領域。5G周波数の10万倍以上高速の電気デバイスの動作原理となる可能性が高いとされる周波数領域。
論文情報
掲載誌 : |
ACS Photonics |
論文タイトル : |
Streaking of a Picosecond Electron Pulse with a Weak Terahertz Pulse (弱いテラヘルツ波を用いたピコ秒電子線パルスのストリーク実験) |
著者 : |
矢嶋渉(筑波大学 大学院M2)、嵐田雄介(筑波大学 助教)、西森亮太(筑波大学 B4)、江本悠河(筑波大学 大学院生(当時))、山本祐揮(筑波大学 大学院生(当時))、川﨑康平(筑波大学 大学院M1)、齋田友梨(筑波大学 大学院M1)、鄭サムエル(筑波大学 助教)、赤田圭史(筑波大学 助教)、田久保耕(東京工業大学 特任助教)、重川秀実(筑波大学 教授)、藤田淳一(筑波大学 教授)、腰原伸也(東京工業大学 教授)、吉田昭二(筑波大学 准教授)、羽田真毅(筑波大学 准教授) |
DOI : |
- プレスリリース 極短い電子線パルスの簡便で汎用的な評価手法を開発 —テラヘルツ波の低周波成分を効果的に活用—
- 10兆分の1秒以下のコマ撮りが可能な電子線分子動画撮影装置の開発に成功|東工大ニュース
- グラフェンの厚さの違いと電子の動きの関係を世界で初めて観察|東工大ニュース
- 分子が変形する様子を2兆分の1秒刻みでコマ撮り撮影―光機能性物質の動作メカニズム解明に成功―|東工大ニュース
- 有機結晶が光で溶けるメカニズムを解明|東工大ニュース
- 100億分の1秒で光増感分子の動きを観測 ~太陽電池や光触媒の機能をつかさどる光励起(※1)構造を解明~|東工大ニュース
- 腰原伸也教授が第39回島津賞を受賞|東工大ニュース
- 腰原伸也教授と東工大がフランス・レンヌ市から表彰|東工大ニュース
- 腰原伸也教授がフンボルト賞受賞|東工大ニュース
- 光ドミノ効果|暮らしを支える東工大の“ものつくり”|東京工業大学 高校生・受験生向けサイト
- 腰原・沖本研究室
- 腰原伸也 Shinya Koshihara|研究者検索システム 東京工業大学STARサーチ
- 田久保耕 Kou Takubo|研究者検索システム 東京工業大学STARサーチ
- 理学院 化学系
- 筑波大学 数理物質科学研究群 / 数理物質系
- 研究成果一覧
お問い合わせ先
東京工業大学 理学院 化学系
教授 腰原伸也
Email koshihara.s.aa@m.titech.ac.jp
Tel / Fax 03ー5734ー2449
筑波大学 数理物質系 物理工学域
助教 嵐田雄介
Email arashida@bk.tsukuba.ac.jp
Tel 029-853-5021
筑波大学 数理物質系 エネルギー物質科学研究センター
准教授 羽田真毅
Email hada.masaki.fm@u.tsukuba.ac.jp
Tel 029-853-5289
取材申し込み先
東京工業大学 総務部 広報課
Email media@jim.titech.ac.jp
Tel 03-5734-2975 / Fax 03-5734-3661
筑波大学 広報局
Email kohositu@un.tsukuba.ac.jp
Tel 029-853-2040