要点
- 多層構造を有するらせん状芳香族分子の触媒的不斉合成に成功。
- 2種の環化反応によって高ゆがみならせん構造を段階的に不斉構築する合成手法を開発。
- 3次元状にπ共役系を広げることで円偏光特性の大幅な向上を達成。
概要
東京工業大学 物質理工学院 応用化学系の森田楓人大学院生、佐藤悠大学院生、野上純太郎大学院生、永島佑貴助教、田中健教授、同大学 理学院 化学系の岸田裕子大学院生、阿部倉優人大学院生、植草秀裕准教授、木下智和大学院生、福原学准教授、総合科学研究機構の杉山晴紀博士、東京大学 大学院薬学系研究科の鳥海尚之講師、内山真伸教授の共同研究グループは、優れた円偏光発光特性を示す、3次元状に共役系の広がったヘリセンの不斉合成[用語1]を達成した。
らせん状の発光である円偏光発光[用語2]は、3Dディスプレイなどの次世代エレクトロニクス材料への応用が期待されており、高輝度円偏光発光を示すキラル有機分子の開発が望まれている。その中でも芳香環がらせん状に縮環した化合物であるヘリセン[用語3]に注目が集まっている。しかし、ヘリセンはキラル有機分子の中でも比較的高い円偏光度(非対称性因子g)[用語4]を示す一方、発光輝度(モル吸光係数ε、蛍光量子収率Φ)[用語5]は低く、円偏光発光材料への応用の課題となっていた。
そこで研究グループは、優れた円偏光度と発光輝度を両立させる分子群として、3次元状にπ共役系を拡張したヘリセン(3Dπ拡張ヘリセン)に着目し、その高度にゆがんだπ共役系を構築するための新たな合成法として、(1)らせん構築に有利な遷移金属触媒を用いた付加環化反応、(2)高ゆがみ構造の構築に有利な酸化的環化反応、の2種類を段階的に組み合わせる合成手法をデザインした。そして、らせん構築に不斉ニッケル触媒[用語6]反応を用い、高ゆがみ構造の構築にScholl反応[用語7]を用いることで、多層構造を有する3Dπ拡張ヘリセンの不斉合成を達成した。さらに、合成した分子は、キラル有機分子の中でも格段に優れた円偏光特性を示すことを見出した。本成果では、3Dπ拡張ヘリセンの優れた円偏光特性を実証するとともに、3Dπ拡張ヘリセンの汎用的な合成手法を開発することで、高輝度円偏光発光材料の開発のスピードアップに貢献すると期待される。
研究成果は、英国科学雑誌「Nature Synthesis」4月19日(現地時間)にオンライン掲載された。
背景
芳香環がらせん状に縮環した化合物であるヘリセンは、らせん構造に由来する特異なキラル特性を示すことから注目されている化合物である。その中でも、らせん状の発光である円偏光発光特性について、ヘリセンは他のキラル有機分子に比べて比較的高く、3Dディスプレイをはじめとした次世代エレクトロニクス材料への応用が期待されている。優れた円偏光発光の発現にあたっては、(1)円偏光度(非対称性因子g)、(2)発光輝度(モル吸光係数ε、蛍光量子収率Φ)が重要であり、これらを両立するキラル有機分子の合成が求められている。しかし、ヘリセンの発光輝度は低く、また円偏光度も向上の余地があることから、円偏光発光材料への応用の課題となっていた。
これに対し、3次元状に共役系を拡張したヘリセンである3Dπ拡張ヘリセンは、高い発光輝度と円偏光度を兼ね備えた分子群として近年注目が集まっている(図1)。しかし、このような高度に広がったらせん状共役系をもつ分子は、その大きくゆがんだ構造のため合成難易度が高く、報告例はいまだ限定的であった。そのため、このような高ゆがみらせん状分子の汎用的な不斉合成手法の開発およびキラル光学特性の解明が求められている。
研究成果
合成戦略
研究グループは過去に、不斉遷移金属触媒を用いた付加環化反応[用語8]によるヘリセン骨格の不斉構築と、続くScholl反応によりπ拡張された巻き数の小さいヘリセンの不斉合成を報告している(Eur. J. Org. Chem. 2022, 2022, e20220069.)。この合成設計は、「らせん骨格を作る」反応と、「π共役系を広げる」反応を段階的に行うものであり、遷移金属触媒による付加環化反応が有する「複雑な構造を構築するのが困難」という欠点を克服する合成手法である。しかし、多層構造を有する、より巻き数の大きいヘリセンについては、追加される大きな立体的ゆがみによりこの合成手法を適応できなかった。
そこで研究グループは、線形縮環を含む低ゆがみなヘリセン様分子を経由する3Dπ拡張ヘリセンの新規合成手法を考案した(図2)。本合成手法では、1段階目である付加環化反応において、3か所の反応点をもつ分岐状アルキンに対し、不斉ニッケル触媒を用いることで、直線状の縮環を含むヘリセン様分子を不斉構築する。このヘリセン様分子は拡大されたらせん径に由来する立体ゆがみの緩和により、付加環化反応の進行を可能にする。また、部分骨格のアントラセン部位の高い反応性を活用し、2段階目である酸化的環化反応において、この位置(図2のピンク色の部分)での結合形成によりらせん径を縮小することでヘリセンに変換しつつ、周辺のアリール基(図2の赤色の部分)での結合形成を同時に行えば、3次元的に共役系が拡張された3Dπ拡張ヘリセンの不斉合成を達成できるのではないかと考えた。
3Dπ拡張ヘリセンの合成と円偏光発光特性評価
合成した2種の分岐状アルキンに対し、不斉ニッケル触媒を用いたところ、ヘリセン骨格に2つの線形縮環を含む13個および15個のベンゼン環からなるヘリセン様分子が得られた。そして、種々の酸化剤を作用させることで、線形縮環部位および周辺のアリール基で酸化的環化反応が進行し、ヘリセン骨格に11個および13個のベンゼン環を含むπ拡張ヘリセンを最大でe.r. = 87:13の鏡像体比率[用語9]で得ることに成功した(図3)。また、単結晶X線構造解析により、広範な領域でオーバーラップした2層のナノグラフェン層が確認された。特に13個のベンゼン環を含むπ拡張ヘリセンは部分的に3層構造を有しており、高ゆがみかつ高密度ならせん状構造が確認された。
また、合成したヘリセンの発光輝度および円偏光度は、キラル有機分子の中でも優れた値を示し(Φ = 0.17~0.31、glum = 0.004~0.04)、なかでも3Dπ拡張ヘリセンについては、円偏光発光特性の評価指標である円偏光発光輝度(BCPL)は最大で513とヘリセン誘導体における最高値を示すことが分かった。さらに、時間依存密度汎関数法(TDDFT)[用語10]を用いた解析により、ヘリセンのらせん方向および側面方向への構造拡張により円偏光度が向上することが確認された。このことから、円偏光発光特性向上のための新たな分子設計指針を得ることに成功したと言える。
社会的インパクト
3Dπ拡張ヘリセンは円偏光発光特性などの光学特性だけでなく、カーボンナノコイルとしての電磁気学的特性、分子スプリングとしての機械的特性など、多様な機能が期待されている分子群である。しかし、汎用的な合成手法の欠如により、機能探索は未だ限定的であった。本研究で開発した、段階的に高度にゆがんだ共役系を構築する合成手法は、キラルナノカーボンの新機能開拓のスピードアップに貢献するものであると考えられる。
今後の展開
今回の研究では、高ゆがみ化合物である3Dπ拡張ヘリセンの新たな不斉合成手法を開発し、これによりヘリセン誘導体の中で最高の円偏光発光輝度を示す分子の合成を達成した。今後は、本合成手法をもとに、さらに優れた高輝度円偏光発光を示す3Dπ拡張ヘリセンをデザインし、3Dディスプレイなどの次世代エレクトロニクス材料への応用を実現したいと考えている。
付記
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業(24H00005、21K18949、19H00893、22K05032、20H04661、23H04020、22H00320)、国立研究開発法人 科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業チーム型研究(CREST)(JPMJCR19R2)の支援を受けて行われた。
用語説明
[用語1] 不斉合成 : 鏡像異性体のうち、いずれか片方のみを選択的に作り分ける化学合成法。
[用語2] 円偏光発光 : 自然光には右回転と左回転の偏光が同じ割合で含まれている。そのうち一方に偏った円偏光を分子などを利用して発光させる現象のこと。
[用語3] ヘリセン : 複数の芳香環がらせん状に連結した分子。左巻きと右巻きの2種類の鏡像異性体が存在する。
[用語4] 円偏光度(非対称性因子g) : 円偏光において、右回り円偏光と左回り円偏光の存在割合のこと。左回りの円偏光の強度(IL)と右回りの円偏光の強度(IR)から算出される非対称性因子g = 2 (IL-IR) / (IL+IR) という指標で評価される。
[用語5] 発光輝度(モル吸光係数ε、蛍光量子収率Φ) : 光源の明るさを表す物理量のこと。モル吸光係数ε、蛍光量子収率Φの積から算出される。
[用語6] 不斉ニッケル触媒 : 中性のニッケル金属中心に、中心不斉や軸不斉配位子が配位した錯体。
[用語7] Scholl反応 : 芳香族分子のC-H結合同士を、酸化剤を用いることで脱水素を伴いながらカップリングさせ、新たな炭素炭素結合を形成させる反応。
[用語8] 付加環化反応 : π電子系どうしの反応によって環状化合物を与える反応。
[用語9] 鏡像体比率 : 鏡像異性体の比率。ここでは右巻きらせんと左巻きらせんの割合を表す。
[用語10] 時間依存密度汎関数法(TDDFT) : 電子状態をシミュレーションする手法のひとつ。電子の基底状態を非経験的に記述した一般的な密度汎関数法(DFT)では、光励起された電子のような時間とともに変化する電子のダイナミクスを計算することはできないが、TDDFTでは電子の軌道関数の時間発展を記述することで時間に依存するようにDFTを拡張している。
論文情報
掲載誌 : |
Nature Synthesis |
論文タイトル : |
Design and enantioselective synthesis of 3D π-extended carbohelicenes for circularly polarized luminescence |
著者 : |
Futo Morita, Yuko Kishida, Yu Sato, Haruki Sugiyama, Masato Abekura, Juntaro Nogami, Naoyuki Toriumi, Yuki Nagashima, Tomokazu Kinoshita, Gaku Fukuhara, Masanobu Uchiyama, Hidehiro Uekusa, and Ken Tanaka* |
DOI : |
- プレスリリース 優れた円偏光発光特性を有するらせん状分子の合成に成功 —高ゆがみらせん状化合物の新規合成法を開発—
- 共有結合性有機骨格の構造異性体の発現・制御方法を開発|東工大ニュース
- 複数のねじれを持つ芳香族ベルト分子の合成に成功|東工大ニュース
- 圧力でダイナミックに変化する励起子増幅過程を解明
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- 2次元有機化合物からホウ素・ケイ素を組み合わせた3次元有機化合物を直接合成|東工大ニュース
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- 光を利用した「有機スズジラジカル」の発生に成功|東工大ニュース
- 陰イオン認識化学センサーの静水圧制御に成功|東工大ニュース
- 永島佑貴 Yuki Nagashima|研究者検索システム 東京工業大学STARサーチ
- 田中健 Ken Tanaka|研究者検索システム 東京工業大学STARサーチ
- 植草秀裕 Hidehiro Uekusa|研究者検索システム 東京工業大学STARサーチ
- 福原学 Gaku Fukuhara|研究者検索システム 東京工業大学STARサーチ
- 田中健研究室
- 田中健研究室|物質理工学院 研究室検索サイト
- 植草研究室
- 火原・福原研究室
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