要点
- ヒトiPS細胞から作製した皮膚ケラチノサイトの放射線応答の分子機構を解明
- 幹細胞、前駆細胞などの分化度の違いによる放射線応答の違いが明確に
- がんや老化のメカニズム解明など様々な分野への波及効果が期待される
概要
東京工業大学 科学技術創成研究院 先導原子力研究所の島田幹男助教と松本義久准教授、大学院総合理工学研究科の三宅智子大学院生、科学技術創成研究院 未来産業技術研究所の沖野晃俊准教授らの研究グループは、iPS細胞から皮膚ケラチノサイト[用語1]を作製し、皮膚における放射線の生体影響[用語2]を明らかにした。iPS細胞から作製した皮膚ケラチノサイトにおける基礎的な放射線応答を解析した最初の例であり、がんや老化のメカニズム解明だけでなく、放射線治療における皮膚防護剤や皮膚疾患の治療薬、化粧品の開発などにも役立つことから、様々な分野への波及効果が期待される。
生体では常に内因性、外因性のストレスによりデオキシリボ核酸(DNA)損傷が生じているが、それらは生体に備わっているDNA修復機構によって修復される。修復しきれなかった損傷は蓄積し、細胞のがん化、老化につながる。特に皮膚表皮においては、表皮基底層に存在する幹細胞、前駆細胞[用語3]が放射線による影響を受けやすいとされる。今回の研究はiPS細胞から作製した皮膚ケラチノサイトを用いて幹細胞、前駆細胞などの分化度の違いによる放射線応答の違いを明らかにした。
研究はタカラベルモント株式会社と共同で実施し、研究成果は米国放射線腫瘍学会誌「International Journal of Radiation Oncology Biology Physics」電子版に5月11日に掲載された。
研究の背景
生体では細胞内代謝により発生する活性酸素などの内的要因や紫外線、放射線などの外的要因により、常に細胞内DNAに損傷が生じている。その損傷は生体に本来備わっているDNA修復機構によって直ちに修復されるが、稀に修復しきれなかった損傷が細胞内に蓄積することにより、細胞のがん化や老化につながると考えられている。
皮膚や筋肉、骨など身体を構成する体細胞の元になる幹細胞にDNA損傷が蓄積すると、細胞減少や細胞機能低下につながり、様々な老化現象を引き起こす。例えば、皮膚付属器官である毛包組織[用語4]においてDNA損傷により幹細胞が枯渇すると白髪、薄毛などの老化現象にいたる。
これまでヒト皮膚由来ケラチノサイトの放射線に対するDNA損傷応答[用語5]に関する報告は少なかった。そこで今回の研究ではヒトiPS細胞からケラチノサイトを作製し、幹細胞から前駆細胞まで分化レベルの異なる細胞のDNA損傷応答を比較した。また、実際の皮膚に近い三次元細胞培養[用語6]実験系を用いて放射線応答を解析した。
図1. 皮膚の構造とそれらを模した三次元細胞培養の概略
皮膚の表面は表皮層と真皮層で構成されており、表皮層はさらに角質層、顆粒層、有棘層、基底層から成り立っている。今回の研究では表皮層を再構築するために、皮膚線維芽細胞とiPS細胞由来皮膚ケラチノサイトを用いて三次元培養皮膚モデルを作製した。K14とK10はケラチノサイトの分子マーカーを示している。
研究成果
ヒト皮膚線維芽細胞から作製したiPS細胞を皮膚ケラチノサイトに分化誘導させ、線維芽細胞[用語7]、iPS細胞、iPS細胞由来皮膚ケラチノサイトにおける放射線照射時のDNA損傷応答の違いを解析した。iPS細胞は線維芽細胞、ケラチノサイトに比べて、放射線に対する感受性が高く、死にやすい性質を持っていることが明らかになった。
DNA修復は多くのタンパク質が関与するが、クロマチン[用語8]内のヒストンH2AX[用語9]のリン酸化などを指標に解析を行った。iPS細胞ではリン酸化H2AXを持つ細胞が放射線照射8時間経過後も20%弱残っていたのに対し、継代[用語10]1回後のケラチノサイトでは5%以下になっていた。
皮膚ケラチノサイトは、継代を重ねるごとにDNA損傷修復速度に遅延がみられた。継代数が少ない細胞は幹細胞に近い性質を持っており、放射線照射により細胞生存率が低下し、プログラムされた細胞死であるアポトーシスの比率が増加したが、継代数の増加に伴い放射線に対して抵抗性を示すことがわかった。
以上の結果より、iPS細胞は未分化の細胞であり、DNAが少しでも損傷した細胞ではアポトーシスによる細胞死を誘導するなど、DNA損傷が残存することを防ぐ機構が備わっていると考えられた。それに対して、成熟したケラチノサイトではDNA損傷が修復される速度と割合が減少していた。ケラチノサイトは成熟すると細胞核が消失し、角質層を形成し、物理的な刺激から体を守るという役割を担っている。成熟したケラチノサイトはいずれ核が消失する運命にあるためにDNA損傷を修復する機能が低下しても問題ないと考えられる。
図2. iPS細胞とケラチノサイトでの放射線応答の違い
iPS細胞では、少しでもDNA損傷が残存するとアポトーシスによる細胞死を誘導する等の応答により、DNA損傷が蓄積することを防ぐが、成熟したケラチノサイトではDNA損傷を修復する機能が低下している。iPS細胞は未分化な細胞であり、DNA損傷を子孫に残さないために、厳密な制御が行われているが、成熟したケラチノサイトは、さらに分化し角質細胞となり、剥がれ落ちる運命にあるため、放射線応答の違いが生じている。
図3. 皮膚三次元細胞培養と放射線応答
ヒトiPS細胞由来ケラチノサイトと正常ヒト表皮ケラチノサイトから作製した三次元細胞培養モデル。K14はケラチノサイトのマーカー、53BP1はDNA損傷マーカー。それぞれ放射線(ガンマ線)2Gy照射後、免疫染色法によりK14、53BP1の抗体で染色した。放射線照射後、それぞれの細胞で53BP1がドット状になっていることがわかる(白矢印)。ドット状はフォーカスと呼ばれ、DNA損傷が生じていることを示している。
今後の展開
ヒトの皮膚に対する放射線影響は不明な点がまだまだ残されている。本研究で確立した実験系を用いてDNA損傷だけでなく、放射線が細胞内応答や細胞間応答に与える影響の解明に貢献することが期待される。
用語説明
[用語1] 皮膚ケラチノサイト : 皮膚角化細胞ともいう。表皮に存在する細胞の95%を占める。表皮の外層はケラチノサイトの角化(脱核)により形成され、皮膚の最外層として直接外部に接触しており、物理的な刺激から体を守る重要な部位である。
[用語2] 放射線の生体影響 : ガンマ線やX線は直接的および間接的に細胞内DNA に損傷を与える。直接的には放射線のエネルギーによりDNA鎖を切断し、間接的には細胞内の水分子を励起し、反応性の高いフリーラジカルがDNA鎖に損傷を与える。
[用語3] 幹細胞、前駆細胞 : 幹細胞は自己複製能と様々な細胞に分化する能力(多分化能)を持つ特殊な細胞。この2つの能力により発生や組織の再生などを担う細胞と考えられている。幹細胞は幾つかに分類され、主に胚性幹細胞(ES細胞)、成体幹細胞、iPS細胞などがあげられる。前駆細胞は幹細胞から特定の体細胞や生殖細胞に分化する途中の段階にある細胞。
[用語4] 毛包組織 : 毛根を包む組織。毛根を保護し、毛の伸長の通路となる。上皮性毛包、硝子膜、結合組織性毛包から成る。毛包上部には脂腺が開口し、皮脂を分泌して、皮膚や毛の表面をなめらかにし、保湿する。
[用語5] DNA損傷応答 : 放射線などにより細胞内のゲノムDNAは損傷をうける。これに対して生体はDNA損傷応答機構というDNA損傷を効率的に修復する防御機構を有している。これには様々なタンパク質が関与しており、H2AXや53BP1もそれらに含まれる。
[用語6] 三次元細胞培養 : 近年の培養技術の発達およびiPS細胞などの再生医学の進歩により試験管内で様々な臓器の立体構造が再現できるようになってきた。これまでは試験管内で単層培養が主流であったが、立体的な培養をすることにより異なる細胞間同士の分子ネットワークの解明が進んでいる他、薬剤試験などに利用されている。
[用語7] 線維芽細胞 : 肌のハリや弾力のもととなるコラーゲン、エラスチン、ヒアルロン酸を作り出す細胞。線維芽細胞が活発に働いている間はコラーゲン、エラスチン、ヒアルロン酸の新陳代謝がスムーズに行われ、ハリと弾力のある瑞々しい肌を保っているが、老化や紫外線などのダメージにより、線維芽細胞が衰えて働かなくなると、新陳代謝は鈍り、コラーゲンやエラスチンが変性することで弾力を失い、ヒアルロン酸が失われることで水分が減少していく。
[用語8] クロマチン : 細胞の核内にあるDNAとタンパク質の複合体。タンパク質であるヒストンにDNAが巻きついたヌクレオソームが集まった状態。
[用語9] ヒストンH2AX : ヒストンは、タンパク質であるH2A、H2B、H3、H4が2分子ずつ集まった8量体である。このH2AのバリアントがH2AXであり、DNA損傷時にH2AXの139番目のセリンがリン酸化される。
[用語10] 継代 : 細胞の培養系から培地を取り除き、新しい培地に細胞を移す作業。
論文情報
掲載誌 : |
International Journal of Radiation Oncology, Biology, Physics |
論文タイトル : |
DNA damage response after ionizing radiation exposure in skin keratinocytes derived from Human-Induced Pluripotent Stem Cells(iPS細胞由来皮膚ケラチノサイトにおける放射線照射後のDNA損傷応答) |
著者 : |
Tomoko Miyake, Mikio Shimada, Yoshihisa Matsumoto, Akitoshi Okino |
DOI : |
|