概要
東京工業大学資源化学研究所の吉沢道人准教授と矢崎晃平大学院生らは、剛直な骨格を有する分子チューブを利用して、柔軟な"ひも状"分子を高選択的に捕捉することに成功した。生体内には、長鎖の炭化水素部位を含むひも状分子が数多く存在し、構造と機能の面で重要な役割を担っている。しかしながら、既存の合成化合物では、その構造の違いを見分けることが出来ない。本研究では、「炭化水素鎖」と「多環芳香族骨格」間の相互作用を利用することで、分子チューブによるひも状生体分子の識別を達成した。
分子チューブとして、多環芳香族分子のアントラセンに着目し、これら4つを連結したナノ構造体を新規に合成した。このチューブは、多環芳香族骨格に囲まれた1ナノメートルサイズの剛直な筒型空間を有し、また、イオン性の連結部を持つため水系溶媒に可溶である。一方、標的として選んだ長鎖の炭化水素部位を含むひも状分子は、柔らかな構造でかつ相互作用が弱いため、その構造の違いを分子レベルで識別することが困難である。両者を水系溶媒中、室温で混合した結果、多点の分子間相互作用(疎水性、π-π、CH-π相互作用)が働き、剛直な分子チューブが柔軟なひも状分子に含まれる分岐のメチル基および不飽和の2重結合を効率的に認識することが分かった。これにより分子チューブは、ほぼ同じ構造の2種類のひも状生体分子(例えば、ネルボン酸とリグノセリン酸の誘導体、スクアレンとスクアラン)の混合物から、一方の分子のみを選択的に内包および分離することに成功した。
これらの研究成果は、最先端・次世代研究開発支援プログラムの支援によるもので、英国科学誌 Nature Publishing Group の「Nature Communications」のオンライン版に、平成26年10月17日(英国時間)付けで掲載された。
研究の背景とねらい
長鎖炭化水素[用語1] 部位を含むひも状の化合物は、生物にとってなじみの深い分子であり、細胞膜やタンパク質など、生体内の至る所に存在している。その種類は多く、脂肪酸誘導体[用語2] は500種類以上、テルペン類[用語3] は50,000種類以上も存在し、わずかな構造の違いで、大きく異なる機能を示す(図1a)。このような特徴的な生体分子に対して、フラスコ内で、合成化合物による認識が試みられている。これまでに、ボウル型やカプセル型化合物を利用したひも状分子の内包とその構造の制御に関する報告例はある(図1b)[文献1a,1b] 。しかしながら、これらの分子は、柔軟な構造でかつ強い相互作用部位を持たないため、既報の合成化合物による厳密な識別は不可能であった。
図1 (a)長鎖の炭化水素部位を含むひも状の生体分子。(b)既報の合成化合物によるひも状分子の内包。
吉沢らのグループは約1年前に、パネル状の多環芳香族骨格[用語4] であるアントラセン環を利用して[文献2] 、それらをイオン性の共有結合で連結した水溶性のボウル状分子を開発した(図2a)[文献3] 。この半球状ナノ空間には、中程度の大きさの芳香族分子が効率的に内包された。この知見を活かして本研究では、ひも状分子の前例の無い高選択的な内包を目指して、多環芳香族骨格に囲まれた筒型ナノ空間を有する剛直なチューブ状分子の開発に着手した(図2b)。
図2 多環芳香族骨格に囲まれたナノ空間を有する(a)ボウル状分子および(b)チューブ状分子の模式図。
研究内容
吉沢准教授と矢崎大学院生らは、4つのアントラセン環に囲まれた1nmサイズの内部空間を有する分子チューブを新規に設計および合成した。その剛直な分子チューブを利用して、柔軟なひも状分子に含まれる長鎖炭化水素部位の分岐のメチル基および不飽和の2重結合の高選択的な識別を達成した。
分子チューブの合成
新規な分子チューブ1(図3a)は、2つのハーフチューブ構造体から、金属触媒を必要としない Zincke 反応を利用して合成した。その構造は、詳細なNMRおよび質量分析、X線結晶構造解析で決定した。結晶構造解析の結果、分子チューブは4つのアントラセン環に囲まれた直径および長さ約1nmの内部空間を有することが明らかになった(図3b)。この分子チューブは、剛直な筒型骨格内に2つのイオン性部位(ピリジニウム基)を有する構造のため、水系溶媒に可溶であった。
図3 分子チューブ1の(a)化学構造および(b)X線結晶構造(空間充填モデル)。
分岐を含むひも状分子の識別
分子チューブ1は、分岐のメチル基を含むひも状分子を選択的に内包した(図4a)。具体的には、チューブ1の水/メタノール混合溶液中に、ヘプタメチルノナン(2a)、または、同じ鎖長の n-ノナン(2b; 図4b)を加えたところ、チューブはそれぞれ1分子を定量的に内包した。一方、2aと2bを同時に加えた結果、チューブは、複数の分岐メチル基を持つ2aのみを内包した(選択性98%以上)。また、2aと同じ炭素数の n-ヘキサデカン(2c; 図4b)を同時に加えた場合も、2aのみがチューブに内包された。これらの選択性は、剛直なチューブ骨格と分岐を含むひも状分子の間で、疎水性相互作用および CH-π相互作用が協同的に働いたためと考えられる(図4c)。
図4 (a)分子チューブ1によるひも状分子の選択的捕捉.(b)ひも状分子 2a-c, 3a-bおよび4a-bの化学構造.(c)2aを内包した分子チューブ1および(d)スクアレンとスクアランの構造(空間充填モデル)。
ひも状分子の不飽和結合/メチル基の識別
分子チューブ1を利用することで、ひも状の生体分子に含まれる(i)不飽和2重結合と(ii)不飽和2重結合および分岐メチル基の識別を達成した。まず、不飽和の脂肪酸誘導体のネルボン酸エステル(3a)と飽和のリグノセリン酸エステル(3b; 図4b)の競争実験では、チューブ1は1つの不飽和2重結合を有する3aのみを内包した。その選択性は99%以上であった。また、複数の分岐メチル基を有する長鎖の生体分子で、複数の不飽和結合を含むスクアレン(4a)とそれらを含まないスクアラン(4b; 図4b)では、立体的な分子構造が近似しているにも拘らず(図4d)、4aのみを内包した。さらに、チューブ1 は、スクアレンの部分構造を含むコエンザイムQ4も効率良く内包した。以上のように、剛直な分子チューブは、柔軟なひも状分子に対して、効果的な疎水性相互作用、π-π相互作用、CH-π相互作用により、その不飽和2重結合および分岐メチル基を認識し、高選択的な分子捕捉能を発現した。
今後の研究展開
エミール・フィッシャー(1902年ノーベル化学賞)によって提案された「鍵と鍵穴」説のように、生体内では、タンパク質の柔軟なナノ空間で様々な分子が識別されている。しかしながら、その部分構造を切り抜き、フラスコ内に入れても、同じ機能は発現しない。今回、柔軟な長鎖炭化水素部位を含むひも状分子に対して、多環芳香族骨格からなる剛直な人工ナノ空間を用いることで、フラスコ内でも高い識別能が達成できた。今後は、この原理を利用した、様々な生体分子(アミノ酸やステロイドなど)の高選択的かつ高感度なセンシング法の開発が期待される。
用語説明
[用語1] 長鎖炭化水素 : 複数の炭素と水素からなる鎖状(ひも状)の有機化合物。
[用語2] 脂肪酸 : 長鎖炭化水素の末端にカルボキシル基(-COOH)を含む化合物。細胞膜の原料で、様々な長さ、不飽和結合、分岐などの化合物がある。
[用語3] テルペン類 : イソプレン骨格(-CH=C(CH3)-CH=CH-)から構成される炭化水素群。植物色素や生体ホルモンなどの材料。
[用語4] 多環芳香族骨格 : 複数のベンゼン環が縮環した平面状構造。アントラセン環もその1つ。
参考文献
[文献1a] :
S. Liu, D. H. Russell, N. F. Zinnel, B. C. Gibb, J. Am. Chem. Soc., 2013, 135, 4314-4324.
[文献1b] :
K. D. Zhang, D. Ajami, J. V. Gavette, J. Rebek Jr., J. Am. Chem. Soc., 2014, 136, 5264-5266.
[文献2] :
M. Yoshizawa, J. K. Klosterman, Chem. Soc. Rev., 2014, 43, 1885-1898.
[文献3] :
K. Yazaki, N. Kishi, M. Akita, M. Yoshizawa, Chem. Commun., 2013, 49, 1630-1632.
論文情報
掲載誌 : |
Nature Communications (英国科学誌; Nature Publishing Group) |
論文名 : |
A Polyaromatic Molecular Tube That Binds Long Hydrocarbons with High Selectivity
(多環芳香族骨格を含む分子チューブによる長鎖炭化水素分子の高選択的認識) |
著者 : |
Kohei Yazaki, Yoshihisa Sei, Munetaka Akita & Michito Yoshizawa*
(矢崎晃平、清悦久、穐田宗隆、吉沢道人*)
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DOI : |
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主な研究支援
最先端・次世代研究開発支援プログラム(内閣府)