東工大には、様々な芸術・文化に触れることができるよう世界文明センターが設置されています。このセンターは、世界の第一線で活躍しているアーティストや学者による数多くの文明科目を開講しています。今年度、文明科目の一部改定を行いましたので、これまでの取り組みを総括してみます。
文明科目が出来たのは2007年度です。それまでのいわゆる文系科目とは異なり、人文学と芸術を教授することを目的としスタートしました。人文学に関しては、当初は、知名度の高い、学内外の講師の方に、大教室での講義をお願いしました。
また芸術に関しても、音楽家からダンサーまで多様な分野の方に講師に就いていただき、芸術全般を幅広く教授しました。芸術科目の一部はワークショップという実技の伴うものでした。ところが、人文科目に関しては文系科目との差別化が困難になり、また、楽に単位が取れる科目として学生に認知される科目が出てきました。座学を中心とした芸術科目でもこのことが当てはまることもありました。
そこで2011年に外部の専門家に特別にお願いして、全ての授業に複数回出席し、授業ごとにレポートを作成していただきました。その結果から、国際的水準に達していないと判断された科目は順次廃止しました。また、合格者の平均点を80点程度にするように講師の方にお願いしました。その結果、学生の満足度は高く、かつ、単位を取得しやすいと認識される授業はほとんどなくなりました。
しかしながら、文明科目の人文学系の科目における、言説と評論を中心とした授業では、学問的方法論が明確でなく、一般教養としての知識の教授以上の効果がないことが明確になりました。そこで、2013年度に大学院理工学研究科建築学専攻の安田幸一教授がセンター長に就任されたことを契機に、人文科目は基本的に廃止し、芸術を支える思想に関して特化した講義を残すことにしました。すなわち、政治哲学、社会哲学、西洋古典語である古代ギリュシャ語、ラテン語です。一方芸術科目は、原則的にワークショップ科目に限定しました。
アーティストによる映像ワークショップ
今年度、さらに文明科目の一部改定を行いましたが、その狙い・特色は以下の3点です。
- 1.
- ものつくりの原点に戻り、抽象的な言説でなく、具体的な形を作り出すことを目的としています。
- 2.
- 過去にとらわれた模倣ではなく、真の意味で、独創的かつ創造的な発想とそれを具体化できる能力を涵養します。
- 3.
- グローバル化、国際化を前提として、世界水準での教育を日本人学生と留学生が、ともにバリア無く参加できる、英語日本語の授業を実施します。
多くの方が疑問に思うことは、これらの芸術科目が果たして、科学技術の創造性につながるのだろうか?あるいは、芸術は特別の才能のある人だけのものであって、たとえ一般の学生に教授したとしても真の実力が学生自身に宿るのだろうか?という論点ではないでしょうか。
第一の点に関して、芸術の発想と、それを、ものとして現実化する力は、科学技術の革新に大きな意味をもつことは間違いありません。なぜならブレークスルーした古今東西の多くの科学技術者は、全てこれまでの伝統、定説を覆していることから、無から有をつくり出す、芸術行為と何ら異なることはないからです。
また、芸術が特別な才能の持ち主のもので、通常の科学技術者とは無関係というのは、芸術に関しての誤解にもとづくものと考えられます。現代の芸術は、ルネッサンス期のミケランジェロ、17世紀のレンブラントや18世紀のモーツアルトの時代とは異なり、全ての人がゼロからスタートしていかに個人を表現するかということに力点があります。特別の才能が必要ということにはなりません。また、芸術技術は表現したいという欲求から向上するものであって、技術だけを取り出して教えることもできなければ、学ぶこともできません。むしろ大学時代に、このような真の芸術創作体験をすることで表現したいという欲望がうまれ、多くの学生にとってその創造性を開花させることにつながります。
最後に、東工大で文明科目を学び、現在他大学の博士課程に在学している卒業生の意見を紹介したいと思います。
私が東工大に入った時には、他の多くの学生と同様、文明センターの主催するような文化・芸術に関する授業にはあまり期待していませんでした。大学で得られるものは純粋に専門の知識であると考えていたからです。しかし東工大で学部・修士を過ごし終えた後に気がつくのは、私にとって大学時代の最も重要な学びの多くを文明センターの授業から得ていたということです。
学生が専門で学ぶ学問は数式や言語を用い、何が真実に近いか、もしくは近いらしいかを実証なり論証することを目的とするものです。そこには常に「正・誤」を定めようという動機が働きます。学問は大変有用です。しかし何が「正しい」かが固定化されるときが、学問の行き詰まるときではないでしょうか。「失敗を恐れず新しいやり方に挑戦しよう」というメッセージを発信することがあります。では学生はどうやってこのような話を自分に応用すればいいでしょう。実際には失敗が非難される対象であると信じられている社会の中で、どうやって失敗することを学んでいけばいいでしょうか?
文明センターが教える芸術の方法論は試行錯誤を学ぶ場として際立って有効であると思います。芸術を通して試行錯誤の体験を学ぶとき、学生は「失敗」という言葉についてまわる緊張や恐怖から自由な立場で発想することが許されます。私が文明センターの授業において最も驚いた点は、そこで「正・誤」ないし「勝・敗」の価値観がほとんど重要視されないように思えたことです。その代わりに、教義や慣習によりかかるのでなく、自分の言葉や表現で発信することを徹底的に要求されます。その過程であらゆる試行錯誤を経験し、実際に失敗が予想していたものより遥かに上回るすばらしい答えを導くことがあることを、偉人の体験談ではなく自らの経験として、極めて短時間のうちに知ることができるのです。このような経験は、学問や実務に帰った時に必要な、自ら発言する態度や新しい選択肢を試みる勇気を養う土台となりました。また、国内外の芸術家、留学生たちとの関わりを持つことができたことも、私にとって大きな財産となりました。異分野の人間同士が互いに興味を持ちながら、英語日本語問わず何とかコミュニケーションをとりあおうとする授業の雰囲気は、文明センターにしかない独特のものであったと思います。私個人としても、長期休暇には講師の方々を尋ねて京都、アメリカ、ドイツに滞在することができたのも、文明センターでの非常にインタラクティブなやりとりの結果でした。
文明センターは技術を教えませんし、授業内容は実際的でないように見えます。しかし、ノーベル賞受賞者や学長の入学式でのスピーチで謳われるような「失敗を恐れず」「自由に」「グローバルに」といった価値をどうやって体現していくのか、その非常に具体的な機会と方法、を文明センターは示していました。その意味で、私にとって文明センターの科目は東工大で最も実際的であり、それらの価値を体験する貴重な学びの場になりました。